一色正春『何かのために sengoku38の告白』(2011)


真実というものは事実に複数の角度からアプローチしないと
なかなか見えてはこないものである。
世に情報はあふれているが、選り分けてみると一次情報は案外少ない。
憶測、カット&ペースト、はたまた限りなく「ねつ造」に近い情報。
自分の頭で考え、判断するためには生鮮材料が必要になる。


何かのために sengoku38の告白

何かのために sengoku38の告白


海上保安官一色正春『何かのために sengoku38の告白』を読む。
一色が昨年12月に海上保安庁を退官していたことも僕は見逃していた。
尖閣諸島のビデオがYouTubeに流失した事件で
あれほどの情報量が巷に流布していたことを考えると
まるで比較にならない扱いだ。
一方、一色が国家公務員の職を離れたことで
こうして著書を通じて自分の考えを
世間に伝えることもできるようになった。



一色がなぜ尖閣ビデオを流したか。
国を憂い、未来を憂い、
海上保安庁の誰もが閲覧できていた映像が
あるときを境に国家機密になる不条理を憂いている。
職務に熱心だった男が自分のクビを賭けて
映像公開に踏み切った心情がよく理解できた。



そもそも一色はC社(おそらくCNN)、
A社(おそらくアルジャジーラ)のどちらかに尖閣ビデオを託そうと考え、
結局C社に素材を送るが公開されなかった。
また自分が逮捕されたときのことを想定して
なぜこうした行動に出たかをビデオメッセージにして
読売テレビ記者に預けていた。
自分の逮捕と同時に放映してもらう条件である。



C社ですら公開できないのであれば、
大手メディアに頼るのは無理だろう。
一色は意を決して漫画喫茶のPCからYouTubeに投稿する。
後はみなさん、ご存知の通りだ。
いったん、YouTubeで公開された後は、
NHK始めほとんどすべてのマスコミがその映像を再利用した。
一色はこう疑問を表明する。


  それはテレビ局が自らの手でニュースの情報源を探さないで、
  インターネットからの情報からニュースを作っていることに
  ほかならないからである。本来、あの衝突事件で中国漁船が
  何をしたのかを、自らが取材して正しく国民に伝えるのが
  メディアの役割ではないのか。

                 (同書p.128より引用)



僕はこの本を読みながら、
国家と個人とメディアの三角関係について考えていた。
メディアが国家の側についてしまえば、個人にはほぼ勝ち目はなくなる。
中国に対してどんな外交行動を取るかより、
海上保安庁の機密扱いの問題と、
情報漏洩の犯人捜しに論調がすりかえられていったのは
いつものメディアのやり口のように僕には思えた。
一色は自分の考え、迷惑をかけた関係者への謝罪、
応援してくれた人の感謝については率直に書くが、
ハンドルネーム、sengoku38の意味だけは黙して語らなかった。



尖閣事件を忘却の彼方に追いやらず、
もう一度自分でその意味を考え直すために、タイムリーな出版。
朝日新聞出版の仕事である。


(文中敬称略)