ヘーゲル/武市健人訳『改訳 歴史哲學(下)』(1953)


マルクスを読み進めるうちにヘーゲルを読みたくなって
図書館で数冊借りてきてザッと眺める。
そのうちの一冊になんとなくピンと来て読み始める。
これが「当たり」だった。
ヘーゲル武市健人訳『改訳 歴史哲學(下)』
岩波書店、1953)を読む(舊譯は鈴木權三郎)。


ヘーゲル全集 10b

ヘーゲル全集 10b


「譯者の序」から引いてみる。


   これは普通の歴史書ではなく、あくまで歴史哲學である。
   歴史の事實を一々詳しく述べるというよりは、
   事實は一應周知のこととした上で、
   事實の中にある歴史の本質、歴史の意味の根本的把捉である。
   各民族の根本性格、歴史の各時期の
   歴史的、世界史的意義などの解明である。
   (略)


   普通の歴史書が假りに数十頁を費して説いているところを
   本書が精々十頁足らずで述べているような場合でも、
   實質的には本書の方がずっと詳しいと思われたことであった。
   (略)


   下手に、何から何まで説明をせずに、筆を省いて行く。
   一體に非常にドラマティックである。
   一々の文句がみな利いていて、すきがない。
   ゆるいと思われる文句が捨て石であったりして、
   それが一々利いている。
   接續詞なしにそれぞれの文句がよく續いている。
   (略)


   この本については序論は後廻しにして、
   まず本文(「世界史の地理的基礎」以下)を讀み、
   一番最後に序論を讀むことを進めたい。
   殊にこの下巻のギリシャの部以下の、
   内容的にも面白い部分を先に讀んでもらいたい。


   序論は議論が抽象的で、
   ヘーゲルのいつもの思辨的な論理が出ているので非常にむつかしいが、
   ヘーゲルとしては以下の具體的な内容を念頭においていて、
   それを抽象的な形で述べているから、
   その彼が見ている具體的なものがつかまれると、
   抽象的な論理も却って論理として整備されたものとして
   意義もあり、面白いことにもなるのである。


武市のこの助言は
一読者としてとても有用であった。
下巻を読み終え、いま上巻を、まずは序論を飛ばして
読み継いでいる。
こんな歴史を読むことを僕は望んでいた。
ヘーゲルの思考の刃は鋭く、表現は簡潔で、
知的にシビれる。


wikipedia: ヘーゲル
wikipedia: 歴史哲学講義
wikipedia: 武市健人
(文中敬称略)