小和田次郎『原寿雄自撰・デスク日記1963-68』(弓立社、2013)


訃報記事を読んだのがきっかけで
小和田(こわだ)次郎『デスク日記—マスコミと歴史』を読む。
復刻版原寿雄自撰・デスク日記1963-68』(弓立社、2013)と
オリジナル全5巻(みすず書房、1965-69)を図書館で借りてきた。
社会の中でのマスコミの役割、限界等を
日々の通信社デスクの立場から克明に記した日記だ。


原寿雄自撰 デスク日記―1963~68 (ジャーナリズム叢書)

原寿雄自撰 デスク日記―1963~68 (ジャーナリズム叢書)

(図書館ではいつも予約が入っていて、読み継がれている一冊)


驚くのは、50年以上前の日本社会が
現在に酷似している点だ。
駐留米軍の問題、政治家の汚職・権力闘争、
大企業のトラブル隠蔽、新聞社トップの政府首脳へのおもねり……
まるで2018年の日本そのものじゃないかと思える記述が
事実に基づき、詳細に重ねられていく。
僕たちの社会は進歩したのか、退歩したのか。
半世紀以上、停滞し続けてきたのか。


デスク日記―マスコミと歴史 (1965年) (みすず叢書)

デスク日記―マスコミと歴史 (1965年) (みすず叢書)


『デスク日記—マスコミと歴史 1963-1964』
「まえがき」から引用してみる。


   マスコミを百%信頼している人にとっては少しでも疑問を、
   頭から敵視している人にとっては
   もう一度実証的に分析するための手がかりを、
   引き出してもらいたい。


   歴史学者にとっては
   歴史の素材としての新聞記事について何かの参考に、
   そして、マスコミの中で仕事をしている人にとっては、
   今日のマスコミをより民主化し、
   真実の報道、民衆のための言論に近づけるうえでの
   一助になればと思う。
   (略)


   しかし資本制私企業としてのマスメディアの中にある
   現代の新聞記者にとっては、
   日々の仕事の中で
   出来るだけいい作品記事を生み出す努力と同時に、
   自分たちの仕事をめぐるいろいろな事実について
   大いに「釈明」することも必要ではないかと思う。
   (略)


                     1965年1月 筆者



小和田次郎は筆名で、
共同通信でデスクを務めた原寿雄が筆者であることが
後に明らかにされた。
この本を読むうちに、
なぜ原がジャーナリズムの世界で
仲間やライバルたちに敬愛されてきたのか、
理解できる気がした。


記者の矜持を忘れず、
権力者に媚びを売らず、
取材と事実を通じて世のため、人のために尽くすことを実践し、
後進に伝えてきた先達だったのだ。
自撰復刻版には池上彰が腰巻きに推薦文を書いている。
(無償で引き受けてくれたと版元が自社サイトブログに記していた)


   『デスク日記』は僕の教科書だった!



(文中敬称略)