撮って撮って見えることがある(篠山紀信)


スクラップブックから
朝日新聞2019年4月25日朝刊
語る—人生の贈りもの—
写真家 篠山紀信(第15回)
震災を撮って撮って見えたこと


   東京の事務所で写真を選んでいるときに、
   東日本大震災が起きました。
   すごいことになった、怖いことになったと思っていました。


   そうしたら、土木建築物を撮る連載をやっていた
   土木・建設雑誌の編集者が
   「篠山さん、被災地に行きましょう」と言ってくれた。
   「キミんとこの雑誌は、建設する方だろ」と言ったんですけど、
   「これは見ておかなくちゃいけない。撮らなくてもいい」って。


   「写真は時代の写し鏡だ」と言って、
   時代を表すヒト、コト、モノに果敢に寄っていって、
   一番いい角度から一番いいタイミングで撮る。
   それが一番いい写真だと常々公言しているのに、
   今回に限って恐怖のあまり無かったことにしよう
   というわけにはいかない。


   ≪震災2カ月後から宮城県を中心に4回ほど通った≫


   初回は、パワーバランスが崩れて
   船が街に突っ込んでいる様子なんかに、
   ただただびっくりしてシャッターを切っただけで、
   後で見たら何をなぜ撮っているのか分からない。


   でも、撮って撮って見えることがある。
   すごい光景が広がる中で自分にしか撮れないものは何か。
   震災は、人間が作ったものを自然が壊した。
   

   だけど、根こそぎ流された後にできた水面に
   野鳥がいる風景なんかの美しさ。
   自然が壊したことへの畏怖(いふ)と、
   自然が新しい自然を作ろうとしていることへの
   畏敬(いけい)の念を感じた。
   そうなると僕にしか見えないものが見えてくる。
   (略)
               (聞き手 編集委員・大西若人)


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東日本大震災篠山紀信
僕の中ですぐに結び付かなかった。
インタビューを読んで、
写真集「ATOKATA」を見てみたくなった。
篠山紀信をただただ被災地に連れて行った編集者がエライな。


ATOKATA

ATOKATA

(さっそく地元の図書館に借り出し予約を入れた)