池上彰『知らないと恥をかく世界の大問題10』(角川新書、2019)

「逃げ恥」は知っていたけれど、「知ら恥」は知らなかった。
本書は「知ら恥」シリーズと呼ばれているのだそうです。
池上彰『知らないと恥をかく世界の大問題10ー転機を迎える世界と日本』
(角川新書、2019)を読む。



2009年から毎年1冊出版されていて(2010年を除く)、
シリーズ10冊目です。
池上さんが選び、解説する
この一年の「世界の大問題」総ざらいと言う訳ですね。
第10巻の構成を目次から引用します。


  プロローグ 「転機」を迎える世界と日本
  第1章 居座るトランプ「アメリカ・ファースト」主義
  第2章 揺らぐヨーロッパ、EUは夢だったのか
  第3章 サウジの焦り、したたかイラン、イスラム世界のいま
  第4章 習近平の1強政治
  第5章 AIとグローバル化の並みに翻弄される私たち
  第6章 憲政史上最長政権へ。安倍政権は日本をどこへ?
  エピローグ 民主主義とは何か
  おわりに
  参考文献案内・私の情報収集術〜私が得る1次情報は新聞


各章のタイトルを眺めるだけで、
この問題を池上さんはどんなふうに解説するんだろうか、
と耳を傾けたくなります。


池上さんは意見を述べる前に基本となる事実を丹念に調べ、
その上で間違いは間違いであるとどんな相手にもきちんと指摘します。
第5章にこんな箇所がありました。


  ■「LGBTには生産性がない」発言で炎上


  日本でも、この言葉がたいぶ浸透してきました。「LGBT」です。
  最近では、自由民主党杉田水脈(すぎた・みお)衆議院議員
  『新潮45』に寄稿した「LGBTには生産性がない」といった論考に
  批判が殺到しました。


  「LGBTカップルは生産性がない(子どもが産めない)から、
  その人たちに税金を投入するのはおかしい」という主張ですが、
  そもそも国も行政もLGBTの人のための支援などしていません。
  税金が投入されていないのです。
  そういう事実誤認があるのですが、
  そもそも人間に対して
  「生産性」という言葉を使うこと自体が間違いです。
                        (p.209)


あ、そうだな、と池上さんに指摘されて僕も気づきました。
LGBTの人のためにそもそも税金は投入されていなかったじゃないか。
せいぜい都内で渋谷区、世田谷区が
同性婚を承認する書類を発行するようになったくらいです。
かかる費用は知れています。


僕が池上さんの本を読んでいつも感心するのは
次のようなくだりです。


  LGBTとは、
  レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー
  頭文字を並べたものです。
  何をいまさら……と思われるかもしれませんが、一応解説しておきます。


  L(レズビアン、女性同性愛者)は、体と心の性別は女性で、
  性的指向も女性である人のことです。
  G(ゲイ、男性同性愛者)は、その男性版。
  体と心の性別は男性で、性的指向も男性である人のことです。


  B(バイセクシュアル、両性愛者)は、体と心の性別を問わず、
  性的指向が両性である人のことです。
  体と心は男性で、男性も女性も好きになる人もいれば、
  体は男性で心は女性で、男性も女性も好きになる人もいます。


  外見は男性ですが女性の心を持ち、
  男性を好きになると一見「ゲイ」に見えますが、
  この場合はT(トランスジェンダー、出生時に診断された性と
  自認する性の不一致)です。
  外見は女性で男性の心を持つ人も同じです。
                      (p.209-210)


僕は「トランスジェンダー」の理解があいまいでした。
外見は男性で女性の心を持ち、
性転換手術で男性から女性になった人(あるいはその逆)を
トランスジェンダー」と呼ぶのだと思っていました。
性転換手術をしたかどうかは「トランスジェンダー」の定義とは関係ない
というのが池上さんの理解なんですね。


そもそもLGBTの定義理解があいまいなまま、
公的機関の税金投入の事実を確認しないまま
杉田議員の発言に騒ぎ立つことは
肯定するにせよ否定するにせよ、
まったく意味のないことであることがよく分かります。


池上さんの解説はここで終わりません。
さらに先に進みます。


  自分の周りにはいないと思っているかもしれませんが、
  LGBT総合研究所が全国の20歳から59歳の個人10万人を対象に
  調査したところ、回答した9万人のうち約8%が
  LGBTなどの性的マイノリティであると回答しています。


  つまり日本には、13人に1人の割合で
  LGBTと呼ばれる人が存在するのです。
  これまでは隠していた人が多かったので、
  気付かれていなかったということでしょう。


そうか、自分や家族がLGBTじゃないからと言って、
この人たちが例外とは言えないんだな。
10万人を対象にした調査を元に僕たちに伝えてくれます。
さらにダメ押しが続くのが池上流解説の真骨頂です。


  世界では、国民投票により同性婚が認められた
  アイルランドをはじめ25ヵ国で同性婚が認められていますが、
  アジアで同性婚が法律で認められている国はまだありません。
  (引用者注:台湾で2019年5月17日、同性婚を認める法律が可決されました)


  しかし、日本では2015年11月から、
  東京都渋谷(しぶや)区と世田谷(せたがや)区で
  それぞれの条例に基づく証明書が発行されるようになりました。


LGBT問題に関してアジアの、
そして日本の世界における位置づけが明らかにされます。
日本の常識が世界の非常識であることはよくあることです。
僕が知っていた東京都渋谷区、世田谷区の件も
条例に基づく証明書が発行されたことに年月の情報を入れ、触れています。


この後、日本の戦国時代における男性の同性愛「衆道(しゅどう)」、
アメリカ大統領選挙時のトイレ、欧米の街で見かけるレインボーフラッグ、
日本国憲法IOC国際オリンピック委員会)の五輪憲章を取り上げ、
LGBT問題の解説を終えます。


こうしたきめ細かい解説が全編を貫いているのですから、
小さな新書と言えど情報量、情報品質を侮ることはできません。
巻末には池上さんの著書では定番になっている参考文献案内を掲載。
それぞれの問題について読者がさらに深掘りできるように配慮してくれます。
どの参考文献から、池上さんがどの箇所をどんなふうに引用しているか知ることも
知のインプットとアウトプットのための勉強になります。


僕はさっそくこれまでの「知ら恥」シリーズを公立図書館で予約し、
週末に読むことにしました。
既に過去のことになっている「世界の大問題」だって、
現在、そして未来につながっていますからね。
池上さんの解説をいまからでも聴いておいて少しも損はありません。


たぶん、僕はこの本のタイトルが好きではなかったんだと思います。
「知らないと恥をかく」って押しつけがましくて、
大きなお世話ですからね。
もしかしたら、どうしても本を売りたかった編集者が
タイトルを提案したのかも、と想像してしまいます。


けれども短縮して「知ら恥」シリーズと呼ぶなら
押しつけがましさがずいぶん減って
むしろ愛着が涌いてきそうな気もします。
言葉って面白いですね。


  編集:辻森康人(株式会社KADOKAWA)、八村晃代


(空港の書店で購入し、機内で予習する読者も数多く存在する「知ら恥」シリーズ)


追記:


池上さんの発言が引用されていたので
クリッピングしておきました。


朝日新聞2019年9月10日朝刊より
パプリックエディターから
新聞と読書のあいだで
河野通和(ほぼ日の学校長、編集者)


  (略)
  聞いて思い出したのは、
  先の冊子<引用者注:「さらば昭和の新聞」(朝日新聞社内資料、2012)>で
  池上さんが「記者はベテラン教授をめざせ」と語っていることです。


  大学の学部生は知識が中途半端なので、乱暴で粗い説明になる。
  大学院生は勉強が深まったぶん、複雑でわかりにくい話をする。
  ところが、ベテラン教授になれば全体がよくわかっているので、
  枝葉をそぎ落とし、要点を簡潔にわかりやすく説明できる、というのです。


  池上さんからは別の言い方を聞いたこともあります。
  「勉強する時は一番効率がいいのは、
  『これを誰かに教えよう』と思うことだ。
  おもしろいし、頭にすっと定着する」。


  そして「子どもにわかるように心がけると、
  結果的に大人からも歓迎される。
  あやふやだった理解が、あれ? 俺知らなかった、となる」


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1994年から11年間、
NHK週刊こどもニュース」のお父さん役で活躍した
池上さんの言葉だけに、説得力がありますね。
元編集者の河野さんが学校長を務めるほぼ日の学校、
僕は知りませんでした。
シェイクスピアなど古典を学ぶ学校なんですね(2017年4月創立)。
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