富岡幸一郎『悦ばしき神学—カール・バルト『ローマ書講解』を読む』(五月書房、2004)

朝、ゴミを出しに行った後、寝床で神学の本を少し読みます。
(その後、たいがい眠たくなって、大王と二度寝してしまうのですが)
富岡幸一郎『悦ばしき神学 —カール・バルト『ローマ書講解』を読む』
(五月書房、2004)読了。



『<危機>の正体』(佐藤優との共著)
『使徒的人間 カール・バルト』の内容がとてもよかったので、
オンライン古書店で購入し、連読した。
国立図書館を除けば、都立図書館=閲覧のみ=しか所蔵していなかった)


〈危機〉の正体

〈危機〉の正体


「あとがき」から引用する。


  東急東横線都立大学駅から歩いて七、八分のところに、
  内村鑑三ゆかりの今井館がある。
  大阪の商人でクリスチャンであった今井樟太郎(くすたろう)の遺志によって、
  その未亡人の寄付で建てられた聖書講堂であり、後に移築されて、
  今日では無教会キリスト教の研修所として用いられている。


  この今井館で、2003年の春から月に一回、土曜の午後に、
  カール・バルトの『ローマ書講解』を読む会をやることになった。
  本書はその折りの講義(全八回)をもとにしてまとめたものである。
  そもそも私とバルト神学との出遭いは、
  1988年に上梓した内村鑑三についての小著を書いたときのことであった。


  当時、二十代の後半であった私は、聖書やキリスト教の専門的知識もなく、
  ただ内村鑑三全集を繙きながら、その言葉の不思議な力に圧倒的感銘を受けた。
  さらに内村の代表作『羅馬(ろま)書の研究』の理解を深めるためにと、
  ほとんど偶然に手にしたバルトの『ローマ書講解』に接して、深い衝撃を受けた。
  それはきわめて難解な本であったが、翻訳の言葉を通して、
  私は自分が決定的に変えられるような体験をした。


  かくして私のなかでは、内村とバルトというふたつの名前は
  切り離すことのできないものとなった。
  それから十年余の歳月をかけて、
  『使徒的人間 カール・バルト』(1999年 講談社刊)を書きあげることができたが、
  その原点となった『ローマ書講解』は、
  私にとって今なお登攀(とうはん)するようにして
  読み続けざるをえない書物である。


  その場所として、今井館が与えられたことは、僥倖(ぎょうこう)であった。
  そして、受講者の方々と毎回、バルトの言葉を追いかけながら、
  それが今日のわれわれの世界の状況に対して、
  実に本質的かつ根源的な、鋭い問いかけとなっていることを改めて知らされた。
                              (pp.304-305)


ローマ書講解上 (平凡社ライブラリー)

ローマ書講解上 (平凡社ライブラリー)

ローマ書講解下 (平凡社ライブラリー)

ローマ書講解下 (平凡社ライブラリー)


富岡の文章は簡潔で切れ味がいい。
佐藤優さんの同志社講義
何度かスイスの神学者カール・バルトのテキストが取り上げられた。
そのたびに、なんて難解で回りくどい文章を書く人なんだと思っていた。
けれども、本書や『使徒的人間 カール・バルト』で
富岡の読み解きをヒントにしながらバルトの文章を再読、三読すると、
徐々に、その言わんとするところが頭に入る瞬間が増えてきた(ような気がする)。


マルクス資本論』を高畠素之訳で読んだときもそうだった。
佐藤優池上彰宇野弘蔵らの読み解きを道標に登攀するように読んでいくと、
突然霧が晴れ、見晴らしのいい場所に立つような感覚を何度か味わった。
神学は僕には相変わらず手強い領域だが、
起き抜け読書をもう少し続けてみたい。


  編集:橋本有司、鶴田實(五月書房)


内村鑑三 (中公文庫)

内村鑑三 (中公文庫)


wikipedia:カール・バルト
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