石井妙子『女帝 小池百合子』(文藝春秋、2020)

7月5日は東京都知事選投開票日。
小池百合子再選に番狂わせは起きないだろう。
盛り上がりに欠ける選挙なので投票率は50%そこそこと言ったところか。
石井妙子『女帝 小池百合子』(文藝春秋、2020)を読む。
緻密な取材に基づく、力のこもったノンフィクション作品だった。


女帝 小池百合子 (文春e-book)

女帝 小池百合子 (文春e-book)


「あとがき」から引用する。


  ノンフィクション作家は、常に二つの罪を背負うという。
  ひとつは書くことの罪である。
  もうひとつは書かぬことの罪である。
  後者の罪をより重く考え、私は本書を執筆した。


  事実を知っていても、それを語ることを憚る空気が
  昨今、強まっているように感じる。
  取材者やマスコミへの不信もあるだろう。
  だが、それよりも何かを語ると大きな災禍が降りかかり、
  不幸に巻き込まれてしまうように思われ、人の口をつぐませるのだろう。
  とりわけ語る対象が権力者であれば、なおさらである。


  そうした中で、多くの方々にご協力いただいたことに、
  私は何よりも感謝している。
  とりわけ、早川玲子さん(引用者注:仮名。カイロで小池と同居していた女性)には、
  改めてこの場にて謝意を申し上げたい。
  その勇気に、その誠実な人柄に。
  (略)


  『新潮45』に私が書いた短い記事に着目してくれた文藝春秋の衣川理花さんから、
  単行本執筆の依頼を受けたのは、今から三年半ほど前である。
  衣川さんから声をかけられなければ、私がこの本を執筆することはなかった。
  (略)

                             (pp.428-429)


小池にはカイロ大学首席卒業(文学部社会学科)の経歴が
詐称でないかとの疑惑が以前からあった。
今回の都知事選前にもカイロ大学が声明を発表し、
在日本エジプト大使館が声明文を公開する奇妙な動きがあった。
朝日デジタル2020年6月9日付記事を引用する。


  エジプトのカイロ大学は8日、小池百合子東京都知事
  「1976年10月にカイロ大学文学部社会学科を卒業したことを証明する」
  との声明を発表した。
  小池氏をめぐっては、一部週刊誌が「学歴詐称疑惑」を報じていた。


  在日本エジプト大使館がフェイスブックで声明文を公開した。
  声明は、小池氏の卒業証書は「カイロ大学の正式な手続きにより発行された」と説明。
  「日本のジャーナリスト」が信頼性に疑問を呈したことについて、
  「カイロ大学及びカイロ大学卒業生への名誉毀損(きそん)であり、
  看過することができない」と批判した。
  そのうえで「エジプトの法令にのっとり、適切な対応策を講じることを検討している」
  と警告した。
                                (カイロ=北川学


どうしてこのタイミングでカイロ大学学長が声明を出し、
大使館が連携したのか。
小池の要請なしにこんな声明が出るだろうか。
唐突な印象を受けた。


石井はこの作品で、節目ごとに報道された小池や関係者の発言、
メディアのアーカイブを丹念に読み直し、読者の記憶を整理しながら筆を進める。
目次はこうだ。


  序章  平成の華
  第一章 「芦屋令嬢」
  第二章 カイロ大学への留学
  第三章 虚飾の階段
  第四章 政界のチアリーダー
  第五章 大臣の椅子
  第六章 復讐
  第七章 イカロスの翼
  終章  小池百合子という深淵
  あとがき
  主要参考文献・資料一覧


小池を一方的に断罪する書ではない。
生まれつき顔にアザを持つ宿命を背負い、
詐欺同様の言動で周囲を振り回した父を持ち、
コネクションのない身でマスコミ界、政界を上り詰めていく小池のパワーの根源に
虚心坦懐に迫ろうとも試みている。


本書を読んだ後で、東京都知事小池の言動を
コロナ禍対応に限定して読み解くのも面白い。


なぜ、権限がないのに都市封鎖(ロックダウン)の可能性に言及したのか。
なぜ、「パチンコ店」「ホストクラブ」「キャバクラ」のように
多数の国民の「標的」になりやすそうな業種名をことさらに発表し続けるのか。
なぜ、これからは「自粛」でなく「自衛」だ
急に都民を突き放すような発言をしたのか。
なぜ、鳴り物入りで始めた「東京アラート」を突然終了し、
それまで判断の根拠にしていた数字を以後使わないことに決めたのか。


石井が描いた小池百合子像からこれらの言動へは
一直線の補助線が引けるように僕には思えた。
本書を1位に記録したベストセラーランキングがあった。
アマゾン書評欄では7/5現在、400を超える読者投稿が掲載されている。
けれども、メディア、評論家、政治家たちの反応が鈍く見える。


石井は本書を準備中、三回小池に取材申し込みをし、
毎回弁護士から断られている。(p.422)
文藝春秋』2018年7月号(6月9日発売)に「小池百合子『虚飾の履歴書』」発表後、
2018年6月、都議会で小池は「法的な対応を準備している」と発言した。
今に至るまで石井は小池から訴えられていない。(pp.415-416)


世界には権力者に異議申し立てをする出版、発言が許されない国家がある。
今回、ひとつの突破口を作ったのは早川玲子、衣川理花、石井妙子の女性トリオだった。
出版物として世に送り出すまでそれを支えた男性陣もいた。
本書が、このタイミングで届けられたことを一読者として喜び、祝福したい。
読後の賛否はともあれ、一読をお勧めする。


おそめ―伝説の銀座マダム (新潮文庫)

おそめ―伝説の銀座マダム (新潮文庫)

(ブックファースト新宿店「名著百選」で知り、石井の筆力を記憶に留めた書)