手嶋龍一『スギハラ・サバイバル』(新潮文庫、2012/単行本、2010)

前作『ウルトラ・ダラー』(新潮文庫、2007)に続いて連読。
手嶋龍一『スギハラ・サバイバル』(新潮文庫、2012)を読む。


スギハラ・サバイバル (新潮文庫)

スギハラ・サバイバル (新潮文庫)

(『スギハラ・ダラー』、新潮社、2010を改訂・改題)


「著者ノート」から引用する。


  古都クラコフにはヒトラー機甲師団が襲いかかり、
  スターリンの狙撃(そげき)師団は
  北部国境で牙(きば)を剥(む)きつつあった。
  欧州きってのユダヤ人街に暮らす流浪(るろう)の民は、
  絶体絶命の窮地に追い込まれていた。
  生きのびる可能性は万に一つ。
  この直前、ひとりの日本人外交官が隣国リトアニアに赴任してきた。
  杉原千畝(ちうね)である。
  二十世紀のユダヤ人の「出ポーランド記」は、
  杉原の存在なくして成立しなかった。
  (略)


  だが杉原千畝がもう一つの顔を持っていたことは意外に知られていない。
  ヒトラーと結んで第二次世界大戦に突き進もうとしていた日本に
  突然変異種のように現れたインテリジェンス・オフィサーだった。
  リトアニアを情報拠点に、欧州全域に諜報(ちょうほう)網を介して、
  独ソ双方に潜ませてある情報要員から最高機密を受け取っていた。
  それゆえ、英国のインテリジェンス・コミュニティは、
  早くから杉原が何者であるかを知り抜いていたのである。


  杉原が築いたインテリジェンス・ネットワークは、
  後にストックホルムの小野寺信駐在武官に引き継がれていく。
  ロンドンは彼らが東京に打電する情報を
  超一級のインテリジェンスとして傍受していたのである。


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(「主要参考文献」 p.466)


  本文末に挙げた重要資料の一覧はその事実を裏付けている。
  物語作者の禁を半ば破っていえば、
  『スギハラ・サバイバル』はこれらの資料に依拠して書かれたのではない。
  物語を書きあげた後で、信頼する史料検索の専門家に
  膨大な外交文書をあらためて渉猟してもらったのである。


  果たして読み筋通りの機密の公電が次々に見つかった。
  著者の見立ての正しさを言いたてているのではない。
  主人公が身を置く英国秘密情報部が、戦前・戦中・戦後を通じて
  決して外部に漏らすことなく、それゆえ、国際政局を動かす力を秘め続けた
  インテリジェンスであったことを指摘しているにすぎない。


  インテリジェンス小説といわれるタイプの物語を紡(つむ)いでいくには、
  情報源の秘匿(ひとく)こそ命である。
  杉原千畝の実像に新たな光をあてるには、
  物語の形をとることの他に方策はなかったと信じている。
  一級の史料が機密指定を解かれたいまもその考えは変わらない。


  その一方で、杉原千畝については、
  新たに発掘された史料に依拠して、一書が綴(つづ)られるべきだと思い、
  外交史料館の白石仁章氏に執筆を強く勧めた。
  これによって、杉原像は一段と豊かになり、その存在も大きなものとなる。
  戦時の歴史にこの外交官の実像が精緻に刻まれることになるはずだ。


  こうしてノンフィクション作品『諜報の天才 杉原千畝』(新潮選書)が生まれた。
  白石氏が前書きと後書きにその経緯を詳しく触れているのはこのような事情による。

                                (pp.467-470)


杉原千畝: 情報に賭けた外交官 (新潮文庫)

杉原千畝: 情報に賭けた外交官 (新潮文庫)

(『諜報の天才 杉原千畝』(新潮選書、2011)改題)


6,000人のユダヤ人の命を日本の通過ビザ発行で救った外交官
杉原千畝の行動を美談として受け止めていた。
手嶋作品を読むことで、
杉原のもう一つの顔、インテリジェンス・オフィサーとしての務めを知った。
ユダヤポーランド人ネットワークから
日本の国益に寄与する情報を得ていたという動機を知り、
歴史と国家と人間の関わりの奥深さを考えさせられた。


手嶋のインテリジェンス小説は調べた限りでは
ウルトラ・ダラー』『スギハラ・サバイバル』の二作品のみ。
絶妙のコンビ、英国情報部員スティーブン・ブラッドレー、
アメリカ人捜査官マイケル・コリンズの活躍を僕はまだまだ読みたい。
政治・経済・文化に関する著者の豊富な知識や見識、
そして細部までこだわる文章力が作品世界を豊かなものにしている。


ウルトラ・ダラー (新潮文庫)

ウルトラ・ダラー (新潮文庫)

Leo Melamed: Escape to the Futures

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(著者が主要参考文献として挙げた一冊)

(筆者最新刊。佐藤優との対談。一般には知られていない「公安調査庁」に迫る