吉本隆明『改訂新版 共同幻想論』(角川ソフィア文庫、1982/2020)

シェルパに恵まれると難解と言われている書物も最後まで読めるものだ。
吉本隆明『改訂新版 共同幻想論』(角川ソフィア文庫、2020)を読む。
道案内をしてくれたのはNHK Eテレ「100分de名著」7月講師・先崎彰容さんだ。



「角川文庫版のための序」から引用する。


  こんど文庫本になったこの本を、いままで眼にふれたり、名前を聞いたり、
  読んだりしたことが、まったくない人が手にとるかもしれないと想像してみた。
  そこでわたしにできる精いっぱいのことは、
  できるかぎり言葉のいいまわしを易しく訂正することだった。
  限度までやったとはいえないが、
  ある程度読み易くなったのではないかとおもう。
  (略)


  そこで著者には、この内容に固執するかぎり、
  どうやってもこれ以上易しいいいまわしは無理だという諦めと、
  この内容をもっと易しいいいまわしであらわせないのは、
  じぶんの理解にあいまいな個所があるからだという内省が一緒にやってくる。
  この矛盾した気持のまま、いまこの本を読者のまえにさらしている。
  (略)


  国家は幻想の共同体だというかんがえを、
  わたしははじめにマルクスから知った。
  だがこのかんがえは西欧的思考にふかく根ざしていて、
  もっと源泉がたどれるかもしれない。
  この考え(ママ)にはじめて接したときわたしは衝撃をうけた。
  (略)


  国家は共同の幻想である。
  風俗や宗教は法もまた共同の幻想である。
  もっと名づけようもない形で、習慣や民俗や、
  土俗的信仰がからんで長い年月につくりあげた精神の慣性も、
  共同の幻想である。
  人間が共同のし組み(ママ)やシステムをつくって、
  それが守られたり流布されたり、慣行となったりしているところでは、
  どこでも共同の幻想が存在している。


  そして国家成立の以前にあったさまざまな共同の幻想は、
  たくさんの宗教的な習俗や、倫理的な習俗として存在しながら、
  ひとつの中心に凝集していったにちがいない。
  この本でとり扱われたのはそういう主題であった。
  (略)


  もとをただせば国家は、一定の集団をつくっていた人間の観念が、
  しだいに析離(アイソレーション)していった共同性であり、
  眼に見える政府機関や、建物や政府機関の人間や法律の条文などではない。
  こういうことがわかったとき眼から鱗が落ちるような気がしたのである。
  以来わたしはこの考えから逃れられなくなった。
  (略)


  人間のさまざまな考えや、考えにもとづく振舞いや、その成果のうちで、
  どうしても個人に宿る心の動かし方からは
  理解を絶するようなことが起っている。
  しかもそれは、わたしたちを渦中に巻き込んでゆくものの
  大きな部分を占めている。
  それはただ人間の共同の幻想が生みだしたものと解するよりほか
  術がないようにおもわれる。
  わたしはそのことに固執した。


この序文は文庫を手にする、
とりわけ若い読者に向けて書かれているようだ。
僕が一番好きだったのは、最後の文章である。
「できるかぎり普遍的な、しかもさまざまな現在的な概念を使って
対象にきり結ぼうとかんがえた」(p.8)著者が
そこに含まれた「わたし個人のひそかな嗜好」について語る個所だ。


  この本のなかに、わたし個人のひそかな嗜好が
  含まれてないことはないだろう。
  子供のころ深夜にたまたまひとりだけ眼がさめたおり、
  冬の木枯の音にききいった恐怖。
  遠くの街へ遊びに出かけ、
  迷い込んで帰れなかったときの心細さ。
  手の平をながめながら感じた運命の予感の暗さといったものが、
  対象を扱う手さばきのなかに潜んでいるかもしれない。
  その意味ではこの本は
  子供たちが甘受する異空間の世界についての
  大人の論理の書であるかもしれない。

                           昭和56年10月25日
                                  著者

                               (pp.5-10)


「子供たちが甘受する異空間の世界についての大人の論理の書」。
これが吉本自身の、『共同幻想論』文庫版の定義であった。
そのことを知って僕は、
吉本隆明の思索の杜をもっと探検してみたいと思った。


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(「100分de名著」との連携プレイで新読者開拓につなげよう!)


  本書は、1982年刊行の角川ソフィア文庫
  『改訂新版 共同幻想論』の文字組を大きくした新装版。
  解題:川上春雄/解説:中上健次


改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)

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共同幻想論

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