初沢亜利『Baghdad2003』(碧天社、2003)

2003年、イラク戦争直前にひょんなきっかけからバクダッドに出掛け、
戦後、今度は自分の意志で再訪した日本人カメラマンがいた。
初沢亜利の写真集『Baghdad2003』(碧天社、2003)を見る。



巻末に掲載されたエッセイ
「バグダディになりたくて」から引用する。


  2003年1月中頃のある晩、
  学生時代から通っていた新宿ゴールデン街のカウンターで
  いつも通り焼酎の水割りを飲んでいると、
  時折顔を合わせる「一水会」代表の木村三浩氏が威勢よく扉を開いた。
  「また、イラクに行くことになったよ。
  今回は30人ほど人を集めなければならない」と唐突に切り出した。


  氏が湾岸戦争以来20回以上イラクを訪れ、バース党を一途に支持し、
  幹部からも深い信頼を得ていることは、この店を通じて私も知っていた。
  「2月の終わりにバグダッドで大規模な反戦会議が開かれる。
  世界中から有志が集まって反戦デモを繰り広げることになるが、
  君もよかったら一緒に行かないかい?」


  思いもかけない誘いを受け、私は一瞬言葉を失った。
  昨年後半より徐々に緊迫化していたイラク情勢に人並みの関心は寄せていたが、
  ことさら反戦を唱えていた訳でも、
  中東の複雑な歴史に精通していた訳でもなかった。
  ましてや当時のイラク情勢の読みでは、
  2月下旬から3月上旬にかけての開戦が有力視されていたから、
  滞在中に戦争が始まる可能性は十分に考えられた。
  (略)


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戦前のバグダッドは拍子抜けするくらい平和で、
人々は日常の暮らしを営んでいた。
ところが、2003年3月、米・英両国がイラク攻撃を開始したことで
戦争は現実となった。
初沢は悩んだ末、バグダッドを再訪し、再び写真を撮ることを決めた。
同エッセイの最後の部分を引用する。


  一連のイラク写真に終止符を打つことができないでいる。
  関係を維持していくことが、
  うしろめたさを軽減してくれる唯一の方法だからだ。
  しかし、それより何より、2回の滞在を通して、
  私はイラク人が大好きになってしまった。


  フセイン政権の恐怖、長期にわたった経済制裁
  そして戦後の混乱と圧倒的に不遇の時代に生きている彼等は、
  陽気で優しく、決して絶望することなく日々の営みを続けている。
  イラクと私の関係は、今まさに始まったばかりなのかも知れない。

       「すばる」(2003年5月号・2004年1月号 集英社
        掲載原稿を加筆、修正


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戦争というものが、どのような人たちの命を奪い、
どのように生活の場を破壊していくのか。
写真の一点一点が、思いを広げ、深めてくれる。


イラクに関わる二つの戦争(湾岸戦争イラク戦争)について
時系列を整理しておく。


  1990.8 イラク軍、クウェート侵攻。
      ブッシュ大統領多国籍軍結成を呼びかけ、英仏も艦船の武力行使を許可
  1991.1〜3 湾岸戦争
     1991.1 米軍を中心とする多国籍軍イラクの戦略拠点・核施設を空爆
       .2 多国籍軍、地上戦を開始、クウェートを解放


  2002.1 ブッシュ大統領北朝鮮イラク・イランを「悪の枢軸」と名指し
     .11 国連安保理イラク大量破壊兵器査察を決議
  2003.3 米・英、イラク攻撃開始(イラク戦争)(〜2003.4)

            (引用:「ニューステージ世界史詳覧」/浜島書店、2016)


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(写真5点は本書より引用)