エロスを、たとえば、古文書に向けてもいいわけです(河合隼雄)

河合隼雄さんに興味を持って、
そうそう、村上春樹さんと対談した本が出ていたなと思い出した。
河合隼雄村上春樹村上春樹河合隼雄に会いにいく』
新潮文庫、1999)を読む。



村上さんが京都の河合さんを訪ね、
二晩にわたって対談。
そのまま二夜構成でまとめ、
それぞれ補足しておきたいことを脚注として書き加えた。


「第一夜 「物語」で人間はなにを癒やすのか」の一節、
「夫婦と他人」に印象に残る対話があった。
引用する。


  河合 (略)日本人の場合は、
     異性を通じて自分の世界を広めるということを、
     もうすっかりやめてしまうというのもあるんですね。
     細かいことを調べて学者になっているとかね。
     エロスが違う方を向いているのです。


     エロスを女性に向けるというのは、
     相手は生きているからこれはなかなか大変ですけれども、
     エロスを、たとえば、古文書に向けてもいいわけです。
     ここのところ虫が食っているなとか、
     なんていう字だろうなんて考えることに
     すごい情熱を燃やすでしょう。
     それは危険性が少ないですね。


  村上 あるいは会社で一生懸命働くとか。


  河合 そうそう。生きた人間でないものに
     エロスを向けている人はすごく多いですよ。
     (略)


  村上 古文書を調べていて、それが楽しければいいのですね。


  河合 しかし、下手すると、
     男のほうは古文書を見て楽しもうとしても
     奥さんのほうが夫婦のあり方というのを大事にしだしたりすると、
     悲劇が起こるんですよ。


     奥さんも、「夫婦のあり方」なんて放っておいて、
     子どものことに一生懸命になるとか、
     漬物を漬けるのに必死になるとかなれば、
     なんとなく安定していっているのですがね。
     (略)


     ただし、自分のやっていることはせめて自覚してほしい。
     近所迷惑ということもありますからね。


  村上 近所迷惑と言いますと?


  河合 たとえば、夫が古文書でがんばっていても、
     奥さんがものすごく困ってるときがあるでしょう。
     主人のほうは古文書やって、奥さんは子どもの世話して喜んでたら、
     これは安定しますよね。


     ところが、奥さんのほうが夫婦の関係を求めているとすると、
     旦那(だんな)のやっていることは
     奥さんにすごい危害を加えていることになるのですね。


     だから、自分のしていることが
     だれに害を加えているかということは、
     つねに考えるべきだと思うのですよ。
     それは西洋流かもしれないけれど、個人の責任の問題ですね。

                             (pp.107-111)


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河合さんの「古文書」の例えに共感するものがあった。
自分に置き換えてみれば、読書に耽溺したり、語学にのめり込むのも
「古文書」の種類が違うだけのような気がしてくる。
そうした行為が、一緒に暮らす相手に危害を加えている可能性があることを
常に自覚すべきとの指摘は鋭く、痛かった。