ふつうはあんな時にカップラーメンなんぞ、食べないだろう(小池真理子)

クリッピングから
朝日新聞2020年9月26日朝刊
小池真理子 月夜の森の梟(ふくろう)
あの日のカップラーメン


  遅い朝食を食べながら、
  ぼんやり観(み)ていたテレビで、
  七十歳のデニム姿の男性が街頭インタビューを受けていた。
  あなたの人生で一番の波乱は何でしたか、
  といったような質問だったと思う。


  十八年前に妻と死に別れたこと、と彼は答えた。
  妻が遺(のこ)した料理のレシピを一から覚え、
  試行錯誤して作り、食べ続け、
  十八年たってやっと元気を取り戻すことができたのだという。


  私は思わず背筋を伸ばし、感嘆した。
  独り身になった男性が、膨大な歳月を喪失感と共に生き抜いて、
  元気で古希を迎えるのは生やさしいことではなかっただろう。
  (略)


  夫が、死に向かうジェットコースターに乗ったことがはっきりしたころ。
  二人で東京の病院に行き、主治医と話し、
  新幹線に乗って自宅に帰って来た。
  昼もろくに食べていなかったが、夕食時だったというのに、
  私は食事の支度をする気になれず、夫は何も食べたくない、と言い、
  居間のソファに倒れるように横になった。
  テレビもつけず、音楽も流さず、室内は静まり返っていた。


  寒い日の晩だった。
  ストーブの上で、やかんが湯気をあげていた。
  ふと空腹を覚えた。
  私は自分のために台所からカップラーメンを持ってきて、
  やかんの湯を注いだ。


  あと何日生きられるんだろう、
  と夫がふいに沈黙を破って言った。
  ソファに仰向けになったままの姿勢だった。
  「……もう手だてがなくなっちゃたな」
  私は黙っていた。
  黙ったまま、目をふせて、
  湯気のたつカップラーメンをすすり続けた。


  この人はもうじき死ぬんだ、
  もう助からないんだ、と思うと、気が狂いそうだった。
  箸を置き、鼻水をすすり、
  手を伸ばして彼の肩や腕をそっと撫(な)で続けた。


  今もたまに、その時のことを思い出し、苦笑する。
  いくらなんでも、あんまりだったな、と思う。
  ふつうはあんな時にカップラーメンなんぞ、食べないだろう。
  泣きながら、絶望しながら、
  ずるずる音をたてて麺をすすったりしないだろう。
  (略)


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30代から40代にかけて10年ほど一緒に仕事をした盟友が、
最愛の家族とニューヨークに滞在しているとき、客死した。
後日築地本願寺での葬儀に臨席した後、
心は空っぽになっているのに空腹を覚えた。
人間は、こんなときにも腹が減るのだなぁ、と思った。
そのとき何を食べたかはすっかり忘れてしまった。
でも、脳と心と胃袋の奇妙な共存、バランス感覚は今でも覚えている。


感傷的な午後の珈琲 (河出文庫)

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