鴻巣友季子評:『新訳 老人と海』(アーネスト・ヘミングウェイ/今村盾夫訳)(左右社、2022)

クリッピングから
毎日新聞2022年10月1日朝刊
「今週の本棚」鴻巣友季子評(翻訳家)
『新訳 老人と海』(アーネスト・ヘミングウェイ著、今村盾夫訳)
(左右社・2200円)



  ヘミングウェイの代表作『老人と海』の新訳が上梓(じょうし)された。
  同作家の研究の第一人者今村盾夫による翻訳であり、
  巻末には手厚い解説も収録されている。
  (略)


  語彙(ごい)や構文の点ではおおむね、
  難解、複雑なところは少ないヘミングウェイ作品だが、
  翻訳の難度では最上位に入る作家だと思う。


  『老人と海』は特にある点が長らく議論の的になってきた。
  老漁師サンティアゴに寄り添う the boy は何歳なのか?
  「十歳説」と「二十二歳」説があるという。
  多数ある日本語既訳では、このマノリンという人物は
  十歳から十代前半の「少年」に想定されていた。
  映画でも十代前半の子役が演じている。


  今回の新訳は二十二歳説をとり、
  初めて the boy を成人した「若者」として訳出した。
  成人男性と判断した理由は、訳者解説で丁寧に説かれている。
  (略)


  翻訳により世界が刷新される。
  多彩な既訳も併読されたい。
  それぞれに彫琢(ちょうたく)された訳文と解説を楽しめるのは、
  翻訳書読者ならではの贅沢(ぜいたく)なのだから。