こうのとり、たちずさんで


テオ・アンゲロプロス監督の
こうのとり、たちずさんで』を観る。
監督の作品は僕にとって3本目。



霧の中の風景』『ユリシーズの瞳』と同様に
失ったものを探す旅である。
突然失踪したギリシャの政治家を
ドキュメンタリーフィルムの監督とおぼしき主人公の男が
ひたすら探し求める。
しかし、男も自らを物語の外の安全な場所には置けない。
結婚の決まっている異国の娘に恋に落ち、煩悶する。


多くの謎が物語の周囲に置かれるが、
どの謎も解決はしない。
アンゲロプロスにとって、
ひとつひとつの謎を解き明かすことなど
まるで関心がないかのようだ。
しかし、観ている人間は物語に引き込まれ、謎に取り残される。
そうして印象的な映像のエンディングが待っている。


同居人と最近話すことは
世界には30人くらいの映画監督しか
本当には必要ないのではないかという仮説だ。
才能にも恵まれず、ひらめきにも縁のない人間が
映画監督を名のって駄作の山を作る。


あいにく僕にはそうした駄作に付き合う時間はさほど残っていない。
むしろ世界の30人の監督が残してくれた作品を
繰り返し観る方が間尺に合っている。
アンゲロプロス監督の映画はそうした作品である。