百年に一度の、お茶漬の味


小津安二郎を観始めて三本目。
今週は『お茶漬の味』を借りてきた。
まず、題名がなんともいい。


お茶漬の味 [DVD] COS-023

お茶漬の味 [DVD] COS-023


良家の子女であった女を妻にめとるが、
どうにもやることなすこと、自分の好みとは合わない。
「そんな女などとは一刻も早く離婚してしまえ」
と僕は心の中で思うのだが、
ひとまず先へ先へと物語を追っていく。


飛行機のトラブルで予定に反して
男は夜半にいったん家に戻る。再出発は翌朝だ。
女中が寝静まった時間に、
妻は自分があれほど嫌っていたお茶漬けを
夫と協力して二人分用意する。
お茶漬けをサラサラかき込むうちに
二人の間に存在していたわだかまりがゆっくりほどけていく。



あらすじを要約してしまえばそれだけの物語に違いない。
しかし、それだけの物語を観てなぜ心に満足感が残るのだろう。
そもそも小津作品を要約することになんの意味があるのだろう。


この作品については
これまで数えきれぬほどの評論、感想が書かれてきただろう。
この上、僕が屋上屋を架すつもりも、必要もない。



しかし、僕は思うのだが、名作というものは、
そうした評論や他人の感想などにいっさい耳を傾けなくとも、
ただ自分がその作品にいきなり入っていくだけで、
大事なことを静かに、直接語りかけてくれる。


あるときふと思い立って黒澤明全作品を観たときもそうだった。
最近で言えば、アンゲロプロスの作品群もみなそうだ。
360円払ってレンタル店から借りてくれば、
かなりの数の名作と一週間向き合うことができる。
近頃はTSUTAYA Online Storeも充実してきて
作品の選択肢がさらに広がった。



そう言えば、この作品に出てくる鶴田浩二はいかにも男前で
いまで言うと、木村拓哉が占めている位置に
いたのかなぁと想像してみる。
淡島千景にしても年をとってからの姿しか知らなかったが、
この時分はなんともチャーミングな人だったんだなぁと感心した。
小津作品は、背景に出てくる皇居や銀座の姿に
ドキュメンタリーとしての愉しみを見つけることもできる。



仕事も、暮らしも、
当分大変である状態が続くことは、みな分かっている。
となれば、どういう時間を日々過ごすかは
個人にとって、ますます重要なテーマになるに違いない。


映画にせよ、書籍にせよ、美術芸術にせよ、
マンガにせよ、舞台にせよ、
名作と対話する時間を確保することは
アイデンティティを見失わぬための
格好のトレーニングにもなるだろう。



百年に一度の不況とみなが混乱し不安にいるいまこそ、
人類千年の文化の蓄積と果実を味わい尽くし、
心のよりどころにしたい。


それにしてもこの映画を観ていたら、
お茶漬が食べたくなったね。