荒波を航海する羅針盤、『日本の思想』

丸山真男『日本の思想』を読む。
『図書』臨時増刊号で識者218名へのアンケートにより
14名の推薦を得て、岩波新書全出版作品の中で第1位に選ばれた。
僕はこのところ小林秀雄清水幾太郎といった、
名前も代表的著作(訳書を含む)の題名も知ってはいるが、
本格的には読んでこなかった碩学たちの古典に取り組んでいる。
これもその一冊である。


日本の思想 (岩波新書)

日本の思想 (岩波新書)


いまや古典となった岩波新書の一群は
昨今の雑誌的・ブログ的新書と違って、なかなかに手強い。
この書も講演を元にした
「III 思想のあり方について」
「IV 「である」ことと「する」こと」
から読む進むのが入りやすかった。
丸山もその読み方を「あとがき」で自ら推奨している。



しかし、読む込むうちにもっとも僕の心をとらえたのは、
この本の背骨をなす「I 日本の思想」であった。
僕が感心したのは例えば以下に引用する箇所である。


  しかし他面において、明治以後の近代化は
  政治、法律、経済、教育等
  あらゆる領域におけるヨーロッパ産の「制度」の輸入と、
  その絶えまない「改良」という形をとっておこなわれた限り、
  合理的な機構化にも徹しえず、
  さりとて、「人情自然」にだけも依拠できない日本帝国はいわば、
  不断の崩壊感覚に悩まねばならなかった。(p.49)


わずか数行の文章を使うのみで
これだけの洞察の深さを表現するとはなんとしたものか。
国家や組織の「不断の崩壊感覚」が
昨日今日始まったのではないことが
この一文を読んだだけで丸山の主張として真正面から迫ってくる。



「あとがき」にこうある。


  けれども、私は「日本の思想」でともかくも試みたことは、
  日本にいろいろな個別的思想の座標軸の役割を果すような
  思想的伝統が形成されなかったという問題と、
  およそ千年をへだてる昔から現代にいたるまで
  世界の重要な思想的産物は、ほとんど日本思想史のなかに
  ストックとしてあるという事実とを、同じ過程としてとらえ、
  そこから出て来るさまざまの思想史的問題の構造連関を
  できるだけ明らかにしようとすることにあった。(p.187)


具体的事実の集積から抽象的法則を発見するには
洞察力と構築力が要る。
具体と抽象を行ったり来たりする能力を磨かねば
僕たちは日々の出来事に流され、
ただ漂流するだけの無力な存在になる。



毀誉褒貶の激しかった丸山の思索と著作は、
荒波を航海する際の羅針盤として精度が高いものであると僕は感じた。


1961年11月20日 第1刷発行。
僕が持っているのは2007年12月5日発行の第86刷である。


(文中敬称略)