クシシュトフ・キェシロフスキ『デカローグ』(1988-89)


今年の1月から2月にかけて第1話から第8話まで観た
クシシュトフ・キェシロフスキ監督『デカローグ』。
夏休みを利用して最後の第9話、第10話、
DVD最終巻・特典映像『キェシロフスキに関する"100の質問"』を観た。


デカローグ DVD-BOX (5枚組)

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『デカローグ』は「ある運命に関する物語」に始まり、
選択、クリスマス・イブ、父と娘、殺人、愛、
告白、過去、孤独、希望、の10連作。
ある団地を舞台に10の物語が組み立てられ
登場人物が少しずつ重なり合ってモザイクのように完成する作品だ。
すべての物語を目撃する男が沈黙のまま象徴として登場する。



特典映像はポーランドのジャーナリストたちが
キェシロフスキ監督に質問する番組を収録したものだ。
ジャーナリストたちは監督の作品に政治や信仰のメッセージを求める。
どの人も映画を語っているようで、
映画の周辺ばかりにしか関心がないように僕には思える。



監督はときにユーモアを交え、ときに吐息とともに質問に答える。
誠実に答えているようだが、どこか窮屈そうだ。
ただ一箇所、脚本の相棒、もうひとりのクシシュトフ、
クシシュトフ・ピェシェヴィチについて語るとき、
監督は一番生き生きとしていた。



「映画で伝えたいメッセージを一言で語れるくらいなら
わざわざ映画など作らない。映画は大切なテーマについて
観客と対話するために作る」と監督は話す。
同時代を生きるポーランド人ジャーナリストたちとは
隔靴掻痒の対話がスタジオで続く。



作品が完成して20年以上が過ぎ、
ポーランドの政治や宗教や歴史からも遠いところにいて、
僕は『デカローグ』を観る。
作品だけを通じてキェシロフスキ監督と対話できることは、
なんと贅沢な体験なのだろうと思う。



一作品ずつ観ていくうちに
信頼、嫉妬、後悔、絆など人間が持つ感情について
監督と、そして自分自身と対話することになる。



名作とは、時代や国籍を越えて
永遠に対話し続けることができる作品ではないか。
そうした対話の連続は娯楽の消費とは異なり、
観る側にも消化のための過程とエネルギーを要求する。
しんどいと言えば、しんどい。
うっとうしいと言えば、うっとうしい。



僕は8ヶ月かかってようやく全篇を観終えたが、
骨のある作品とじっくり対話できるのが夏休みのいいところだ。
先入観を捨て己を空っぽにして立ち向かうと、
滋養が心身に沁み込む。それが名作と対話する報酬だ。