盟友Fがしたためた幻の弔辞

先月末、ニューヨークで客死した盟友Fの死を
いまだに受け入れきれない僕たちは、
Fと一緒に最後にご飯を食べた築地のD亭に集まった。
ニューヨークでFの死を看取ったTが
東京にやってくるタイミングに合わせたのだ。
僕たちはFのことをF亭、F亭と呼んでいたから、
「D亭でF亭の会」と名付けて
三々五々集まることにしたのだった。



みんなで決めた約束で、
F亭の分のグラスを用意することにしていたから
ビールを注いで席をひとつ作った。
四十九日もまだだから、好奇心旺盛なF亭のこと、
きっとこの場に降臨しているに違いない。
みんなでF亭と過ごした記憶の断片を持ち寄って
おおいに笑った。
だって、どうやって悲しんだらいいか、
僕たちには分からないんだもの。



仲間のひとり、H亭が遅れてやってきた
(僕たちは敬意を込めて仲間の名字に亭を付けて呼ぶ)。
F亭の死を知らされた仲間たちが書いたメールの文章を
小冊子にまとめ、ホッチキスで止めていて遅れたのだった。
「みなさんの承諾も得ずにまとめました」
とH亭はこの夜出席した面々に一冊ずつ配ってくれた。



圧巻は、僕たちの元上司M亭について書いたF亭の文章だった。
M亭が昨年初夏、某社副社長の重職を離れた期の大宴会の後、
F亭が仲間たちに突然送りつけたメールの文章だ。
僕は初めて目にした。
まるでM亭の将来の弔辞を、
F亭が自らの死の半年前にしたためたような、
気迫ある、けれども冷静さを保った文章だった。
M亭への私淑と愛情を僕は感じた。


「君が仕事が速いのはよく知っているけど、
 さすがにこれはちと急ぎ過ぎだぜ」
と僕はF亭に言いたかった。



現実はF亭の幻の弔辞とは順番が後先になり
F亭の告別式で、M亭が弔辞を読むことになった。
「F、いつもの通り、呼び捨てで御免」
に始まるM亭の弔辞は、一世一代の名文であった。


しかし、弔辞があまりに名文であるのは案外困ったものだ。
言葉の一つ一つが涙腺を刺激して止まない。
悲しみが言葉を追い越してしまうのか、
言葉が悲しみを追い越してしまうのか、
いつしか自分でも訳の分からない感情に取り憑かれることになる。



築地の中華料理屋D亭はどんなに飲み食いしても
一人あたり3,000円でお釣りがくる庶民的な店だ。
この気楽さはF亭もきっと嫌いではなかったろう。
僕たちはこれからもときおりD亭に集まっては
F亭にまつわる記憶を、笑いとともに確かめ合いたいと思うのだ。
みんなの記憶に生き続ける限り、
F亭は死んではいないと思うのだ。
どうしてもそう思わないと、
僕たちは、とてもやりきれないのだ。
胸にポッカリ空いた穴が、いつまでも埋まりそうにないから。