クアラルンプールに住む友人が土曜日、亡くなった。
脳卒中で突然倒れ、救急車で運ばれ、
集中治療室にいることを知らされていたからずっと気になっていた。
7年前のカンヌ国際広告祭で僕がセミナーの進行役を務めたとき、
ゲストスピーカーとして来てくれた友人だ。
「カンヌは好きでなかったが、あなたとの友情でやってきた」。
彼女は僕にそう言った。
10年前に台北で初めて出会い、
その後、カンヌ、パタヤ、東京、クアラルンプール、サンパウロで
一緒になった。会うたびにいろんな話をした。
友人になれる人とは初対面でも近しく感じるし、
何年か離れていても、彼女との友情が目減りすることはなかった。
広告で優れた仕事をする一方で
女流監督としてもテレビドラマや映画作品を作り続けた。
クリエーティブの神さまに愛され、
その人柄でたくさんの友人から愛された。
彼女が今年始めに作った広告の一本は
「Funeral(葬式)」という題名だった。
僕もきょう初めて観た。
ご主人をなくした夫人が家族や知人の前でスピーチをする。
夜中にひどく困らされたご主人のいびきやオナラの音が、
病の末期では彼がまだ生きている証しの音となった。
人間としてのそんな小さな不完全さが
あなたにとっては完璧なものとなる。
私にとってそんな魅力的な不完全さを持つ
生涯のパートナーだった夫のような人を
自分のこどもたちも持てるようにと夫人はスピーチを終える。
聴衆は夫人のユーモアに笑い、そして涙する。
僕の友人は自分の人生がもうそう長くはないことを
本能的に察知していたのだろうか。
世界のどこかにこの人がいてくれるからと
いつの間にか心の支えにしている人が僕には少数だがいる。
彼女がいてくれるだけで
クアラルンプールは懐かしい都市になり、
マレーシアは僕の好きな国になった。