巣鴨の夜が更けてゆく

「木曜くらいを過ぎると、
 ああ峠を越したなぁとうれしくなって
 築地Uのカウンターで昼ビールを飲んでしまう。
 でも、昼ご飯を食べている他の人に悪いと思って
 はじっこにすわって飲んでるんだけどね」


そう言っていた恩師Oさんの気持ちがこの頃よく分かる。
僕は仕事中は昼ビールはいただかないが、
「木曜くらいを過ぎたときの峠を越えた感じ」
が実感できるようになってきたのだ。



  (東京メトロ巣鴨駅にて)


さて、一週間分の仕事を終えた金曜日。
ちょっと足を伸ばすかと思い、メトロで巣鴨に向かう。
わが生涯、この駅で降りたことはなかった。
豊島35番・宮下湯がここにある。
番台のおばちゃんがていねいに銭湯お遍路スタンプを押してくれる。
66湯目である。



宮下湯は地下130メートルから汲み上げた地下水を
直接沸かすのでなく、ヒートポンプで間接的に温める。
地下水の持っていた性質を壊すことなく湯にする仕組みである。
結果として軟水で、やわらかい湯質を得ることができる。
町場に名湯は潜んでいるものだ。



湯上がりにビールでもと駅近辺をフラフラするが、
ちょっと油断すると風俗街に紛れ込み、
そこにはお兄さんたちが立っている。
風営法改正以来か、客引きはできないものの
全身からオーラが漂っているのですぐに判別できる。


ひきずりこまれないよう用心して、一軒の小料理屋に行き着く。
「井こし KUSHIKOMA」とある。
どこまでが店名なのかはよく分からない。
(下線部をクリックしてリンクページに飛ぶとその謎が解ける)


家族連れの客が一組。
客が誰もいない初めての店は入りづらいから、ちょうどいい。
おじさん二人で経営しているらしいが、
酒も料理も適度にこっていてうまい。
「生鮭の大根チーズ和え」「ゆでレタスのいしりソース」
「クリームチームの酒盗和え」など頼む。どれも、うまい。



  (生鮭の大根チーズ和え)


この店は日本酒ハーフの注文ができるので
知らぬ銘柄をあれこれ試してみよう。
小上がりの家族の会話を聴くともなく聴きながら飲む。


三人のほどよい距離感と言葉づかいから、
子連れで離婚した女性と独身男性、
子連れの男性と独身女性などありうる可能性を考えていた。
会話の後半で「パパ」「ママ」と出てきたので
どうやら三人は家族らしい。


いまどきの日本の家族には珍しい雰囲気だ。
まわりに配慮しながらも、
三人だけの貴重な時間を楽しんでいることが
見ず知らずのこちらにも伝わってくる。
どこか「再会」と「別れ」の気配が漂っているのだ。



  (ゆでレタスのいしりソース。「いしり」は能登名産の魚醤。
   いかの内蔵を塩漬けにして18ヶ月発酵させる)


三種類試した日本酒の中では
而今(じこん)純米吟醸が一番気に入った。
三重・木屋正酒造の酒である。
而今」とは「過去にとらわれず、未来にとらわれず、
いま、このときを懸命に生き抜く」の意だそうだ。
いい名前だね。



仕上げにと、銭湯からの帰り道で気になっていた
餃子の赤看板の店「小天狗」に移動して
焼き餃子と中華そばを頼む。
常連のひとりは三連休に競馬に繰り出すらしい。
せっかく稼いだ金をすらぬといいが、と口には出さず
余計な心配をする。


会社とも仕事とも家庭とも無関係に
巣鴨の夜は更けていった。