終わるという感覚


一週間の仕事が終わる。
この終わる、という感覚は大切だ。
企画の仕事を抱えていた頃は、
終わることはなかった。
日曜日の夕方以降を平穏に過ごした記憶はほとんどない。
大人になっても宿題に追われることになるとは、
小学生の時には想像していなかった。



いまは自分の仕事の性質が少々変わってきて、
一週間の仕事が終わると、ひとまずは終わる。
本当は終わらないことばかりなのだが、
無理矢理にでも終える。
そうしないと身体にも心にも、
仕事そのものにもよくないと本能が告げているからだ。




などと
自分を納得させる論理を適当に組み上げて街をうろつく。
若葉町で湯につかり、
四谷・鈴傳(すずでん)にやってくる。
気のいいおばちゃんふたりが酒やつまみの注文をさばく。
さすがに金曜だけあって、
次々客が入れ替わり、途切れることがない。



  (マカロニサラダ、焼はんぺん明太子、いずれも一皿350円)



  (「鈴傳」先代のお言葉)


酒屋の奥で立って飲ませる角打ちだから看板は9時だ。
四谷見附のPaulで翌朝食べるクロワッサンをふたつ買い、
少し夜風に当たってそぞろ歩きする。


東京は、意識して小まめに歩いてみると、
実に豊かな表情を、季節ごとに持っていることに気づく。
生まれて初めて歩く横丁が、いくらだってあるのだ。
行き交う人たちの暮らしぶりを想像するのも
なかなかにおもしろい。





    利己主義は人類誕生とともに古く、
    その有無は社会形態とは関係ないが、
    民主制に固有な個人主義は、
    静穏な思慮ある感情であるが、
    同胞の群れから孤立させ、
    家族と友人との世界に引きこもらせる


   (猪木武徳『戦後世界経済史 自由と平等の視点から』p.39)



1830年代にアメリカの民主制を論じた
A・トクヴィルの言葉をじっと噛みしめてみる。
10月が始まり、2010年もあと三ヶ月で終わる。
一年の終わりも近づいてきた。


wikipedia:トクヴィル
wikipedia:en:toqueville


戦後世界経済史―自由と平等の視点から (中公新書)

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アメリカのデモクラシー (第1巻上) (岩波文庫)

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アメリカのデモクラシー〈第1巻(下)〉 (岩波文庫)

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トクヴィル 現代へのまなざし (岩波新書)

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