人はなぜ選評を読むのか


受賞作を読まないことはあっても
芥川賞直木賞の選評を読まないことはほとんどない。
オール讀物9月号」を買う。
池井戸潤下町ロケット』の直木賞受賞を発表する
特別号なのだ。


オール讀物 2011年 09月号 [雑誌]

オール讀物 2011年 09月号 [雑誌]


池井戸は『鉄の骨』『空飛ぶタイヤ』で
二度直木賞候補になり逃している。
今回もまた文学性が議論になった。
審査員の何人かは池井戸の作品は人間が描かれていない、
類型的であると批判する。
池井戸自身は群像劇を書いていて、
おおぜいの登場人物それぞれに固有の物語があると普段から主張する。
さて、審査するもの、されるもののギャップが埋まるかどうか、
今回の審査の見ものだった。


下町ロケット

下町ロケット


渡辺淳一委員は「少数意見として」と断り、
こう書く。


    しかし、わたしは
    ここまで読みものに堕したものは採らない。
    直木賞は当然文学賞であり、
    そこにはそれなりの文学性とともに
    人間追求の姿勢も欠かすべきではない。


林真理子委員はこうだ。


    私として登場人物のすべてが
    ステレオタイプなのが気にかかった。
    大手の銀行員はいかにもそれらしく、
    町工場の人間はいかにもありそうな設定だ。
    理想家肌の社長と、
    実務派の若い社員の対立も少々図式的だ。


なかなか手厳しい。


    とはいうものの、
    この作品の持っている健全さは捨てがたい魅力がある。
    時代と小説が決して無関係でないとしたら、
    やはり今の世にふさわしい受賞作だ。


受賞には反対はしないと
消極的姿勢でバランスを取る。



手放しで受賞を讃えたのが、伊集院静委員。


    本作品は氏の決定打に思える。
    まさにクリーンヒットである。
    直木賞の受賞作にふさわしい作品であると同時に、
    さまざまな事情を抱えた今夏の日本に活力を与える小説である。
    受賞を祝したい。



選考委員も人間であるから
たとえ99%の公平さを持って審査に臨むにせよ、
1%のエゴイズムはあるだろう。
まして、受賞以降に商売敵になる作家を祝福するのが
賞の存在意義である。


人間とはなにか。文学とはなにか。
人はなぜ物語を読むのか。
「文学性」に答えはない。
人間とはなにかに答えられないのと同じだ。
けれど選考会で候補作をもとに
委員たちが議論することには意味がある。
僕には池井戸の受賞作は抜群に面白かった。



単行本を売りたい都合があるのだろうが、
わずかばかりの抄録を載せその末尾に
「長編のため、冒頭部分を掲載しました」
と記す文藝春秋の姿勢はいかにもみみっちく僕には思える。
単行本は小学館が出版しているので遠慮があるのだろう。


少しでも本の世界に人を呼び戻すためには
両社で話し合い全文掲載するくらいの気概がほしい。
現に芥川賞ではそうしている(今期は受賞作はなかった)。
来年度から出版界全体で検討してもらえないだろうか。
こうした人気ある作品の受賞をきっかけに
読書人口を増やすことが先決だ。



(文中敬称略。各選考委員コメントは『オール讀物9月号』より引用)