児玉清『負けるのは美しく』(2005/2008文庫版)


児玉清『負けるのは美しく』を読む。
タイトルがいい。
美しく負ける、でも
負けるときは美しく、でもない。


負けるのは美しく (集英社文庫)

負けるのは美しく (集英社文庫)


   どうせ勝利感を得られないのなら、
   また明確な勝利を望むべくもないのなら、
   いっそ、せめて美しく負けるのを心懸けたら、どうなのか、
   そう考えたとき、はじめて心に平和が訪れた思いがしたのだ。
   心の中にあったもやもやと苦渋の塊は決して霧散はしないが、
   何よりもの俳優として生きる心の励みと戒めとなったのだ。
   爾来、「負けるのは、美しく」は僕のモットーとなった。


                           (p.288)


本書は児玉が俳優になったきっかけから
70台を迎えた心境までを綴ったエッセイである。
巻末第5章には2002年に37歳で天に召された娘について書いた
「天国へ逝った娘」を収録している。



密度の濃い、けれど軽快なリズムを持つ児玉の文章は
並外れた読書量の産物だろう。
思い通りにならないことの方が遙かに多かった俳優人生を
いつも慰めてくれたのは本の世界だった。
児玉は翻訳本を読み尽くし、英文原書の山脈に飛び込んでゆく。


   英語を読み解く冒険の楽しさと
   原作の小説の面白さが重なるのだから、
   翻訳本を読むより喜びの深さが倍増する。
   新しい発見は、英文を読んだときに、
   頭の中にぱっと閃く意味の、得もいわれぬ感覚だ。
   あとで、懸命に智恵を絞っても日本語の文章にならない、
   読んだ瞬間の意味の知覚だ。
   日本の言葉にできない知覚に陶然としてしまうのだ。


                         (p.237)



英語を学ぶ者として励みにもなり、
かつ高みでもある児玉の境地である。
読者へのサービスとして各エッセイに
児玉が愛読した小説からワンセンテンスの英文を引用している。
俳優としての児玉の存在感には物足りなさを僕は感じていたが、
彼の持つバックステージの豊かさ、
生き方の潔さには感銘を受けた。



(文中敬称略)