うぬぼれと嫉妬がカンヌの混沌を拡張する


2015年のカンヌの新カテゴリーについて
意見を聴く会に呼ばれた。
僕を含めて5人。
昼休みの1時間、会場奥の会議室で話し合う。



カンヌについてはいつも賛否両論ある。
カンヌに一週間通い詰めても、
なにか明快な結論を持ち帰れる訳ではない。
ひとつだけ言えるのは、
プロダクトとしてのフェスティバルについて
Kaizenを続ける貪欲な姿勢があることだ。



2014年のフェスティバル開催中にも
翌年に向けて、プロダクトをKaizenしようとしている。
モバイルアプリの使いやすさときたら、数年前の比ではない。
紙のブック、リーフレットを持ち歩く必要はほとんどなくなった。
どれだけ熱心に通うかにもよるが、
カンヌフェスティバルの1時間に僕たちは平均1万円支払っている。



一方、カンヌは焦点がボケ始めたと指摘する
重鎮John Hegartyの意見はおおいに参考になった。
Johnは2013年には久しぶりにフィルム部門審査委員長を務め、
今年もDavid Drogaとのセミナーで若い観客たちを挑発した。
カンヌのど真ん中にいまもいて、辛口の意見を表明している。
そのクリエーティブ魂に頭が下がる。



  (写真上:オンラインマガジン "mUmBRELLA" より引用)


批判を許す民主主義が少なくともカンヌでは機能している。
あるいは批判をも飲み込んでしまう怪物に
カンヌがなりつつある気もする。



カンヌは僕たちの業界、世界を写す鏡であり、
混沌そのものがカンヌというプロダクトになっている。
混沌を拡張する最大のエネルギー源は、
人間のうぬぼれと嫉妬である。
海の見える会議室で2015年のカンヌを語るとき、
僕の中でも確かにうぬぼれが動いた。