極私的ベスト2014: 本の部門


友人Y氏に倣って始めた極私的ベスト。
年末のあわただしい時間を盗んで、自分のメモを整理してみます。
例によって座興に過ぎません。
心と時間にゆとりのあるときに、お楽しみいただければなによりです。


本の部門:


第1位 小西甚一「古文研究法」(1965) 7.4


古文研究法

古文研究法


出版されたのが1965年。
高校時代に購入して読了したのが2014年。
小西が書き、僕が読み終えるまで、およそ半世紀かかってしまった。
(社会人になって二冊目を買った)
それくらい中身の濃い本である。
大学受験生にだけ参考書として独占されるのは
あまりにもったいない。


素晴らしいのは、この本を通読すると、
古文がグッと身近になることだ。
語彙に始まり、歴史・精神的理解まで
古文読解のスキルが上がることが実感できる。
海外で仕事をしてみようと思うなら、
一度は通読することをお薦めする。


第2位 吉行理恵/小島千加子編「湯ぶねに落ちた猫」(2008) 7.2


湯ぶねに落ちた猫 (ちくま文庫)

湯ぶねに落ちた猫 (ちくま文庫)


猫と長年暮らす身としてはたまらない一冊。
吉行と友人だった編集者小島が丁寧に編んでいる。
我が家の大王は僕が風呂に入るとき
毎晩湯舟の縁に腰掛け、入浴気分を楽しむ。
抜群の運動能力を誇る大王が
あるとき一度だけ足を滑らせ湯舟に落ちた。
弘法も筆の誤りは、どうやら猫にも当てはまる。
差し迫った用事のない週末や夕刻のひとときに、
ゆったり頁をめくりたくなるアンソロジー


第3位 「英語で読む村上春樹 世界のなかの日本文学」
The Elephant Vanishes/Super Frog Saves Tokyo」(2013-14) 7.2


NHK ラジオ 英語で読む村上春樹 2013年 04月号 [雑誌]

NHK ラジオ 英語で読む村上春樹 2013年 04月号 [雑誌]


中途に長いインターバルはあるものの、
僕はNHKラジオ英語講座に48年以上お世話になっている。
毎年6、7講座は聴いている。
2013年4月に開講した本講座は近頃のNHK語学講座のヒットである。
毎月テキストブックを購入し、
番組を聴いた後に時間をかけて精読している。
村上春樹の短編を6ヶ月に渡って
講師・沼野充義とともに精読していく講座である。
沼野はもともと英文学の教授ではないのだから
杓子定規なキャンパスのルールではこうした講座は実現していまい。
バーチャル教室に通える僕らは至福の時間を過ごすことになる。


村上春樹「かえるくん、東京を救う」英訳完全読解

村上春樹「かえるくん、東京を救う」英訳完全読解


精読してみると、英訳したジェイ・ルービンの凄腕を
まざまざと実感することになる。
ジェイはハーバード大学教授であり、
村上のファンである。
その英文は実に音楽的であり、
暗唱のための最高の教材になることを保証する。


第4位 角田房子「味に想う」(再読) 7.2


味に想う (中公文庫)

味に想う (中公文庫)


旅と味のエッセイ。
プロに限らず誰でも書けそうなテーマだが、
他人の印象に残すのにこれほどむつかしいテーマはない。
食いしん坊であること。
細部に至るまで記憶が確かであること。
記憶を再現する文章力があること。
読者がなにを読みたがっているか察知できること。
それらすべてが揃わなくては一級のエッセイにはならない。
角田のこの著作はその意味で一級である。
味に引きずられるうちに、自分もその街を旅している。
その街に暮らす人たちと会話を交わしている。


第5位 井野朋也「新宿駅最後の小さなお店ベルク」(再読) 
(2008/2014文庫)7.2



ベルクにはこの数年通い続けている。
ちょうど通勤途中のターミナル駅にベルクはある。
本書は単行本刊行時に一読し、印象深かった。
ベルクで飲んでいる折、加筆した文庫本発売を知り、
即購入して再読した。


自分にとって2014年は定年退職の年であり、
その後どうするか、大きなターニング・ポイントだった。
一年半ほど前から複数の選択肢を検討した。
最終的にいま勤務している会社が4月から始めた
シニア契約社員制度への応募を決めた。
大きな人生の決断をしてみると、
本書の再読は初読とは異なる読後感があった。
個人店を二代目として経営し、
家主であるルミネとの5年にも及ぶ格闘はいっそう重く感じられた。
ひとりの客である僕は、そうした学びはともかくとして、
ベルクで気楽に楽しめる身であることがなによりうれしい。
4位5位と再読本が並んだ。


第6位 岡田英弘著作集 1「歴史とは何か」(2013) 7.1



岡田と同時代に生きられることを僕は幸運に思う。
存命中にライフワークである全8巻の著作集が刊行されていることは
在野の読書人にとって幸福である。
藤原書店に感謝したい。
僕が敬愛する歴史家宮崎市定とは立ち位置も経歴も実績も違う。
けれど僕は、日本のアカデミアが岡田を持つことを
なにより誇りに思うのだ。
知に働けば角が立つ。
角が立つことを恐れぬ学者の存在は、
僕たち庶民が騙されず操作されず考え行動するためには不可欠だ。


第7位 佐々木健一「辞書になった男 ケンボー先生と山田先生」
(2014) 7.1



ミステリー小説よりミステリーだった。
「明解国語辞典」誕生にまつわる二人の巨人の協業と対立。
この本を読んだおかげで僕は何冊の辞書を
古書マーケットから買い漁ったか分からない。
一冊の辞書を編むには博覧強記の才能が要る。
強記がしばしば同音の狂気に通じることに本書は迫った。


どんなすぐれたソフトウェアも、
基盤となるOS(オペレーティングシステム)がなければ動かない。
優れた辞書はOSである。
どんな天才が基盤を築いても、
いや天才が築いた基盤であるがゆえに僕たち凡才は気づかない。
けれども、基盤をOSを築く天才の存在なしに
僕たちの平凡な日々は成り立たない。
そして、天才たちにもエゴはあり見栄はあり葛藤はあるのだ。


第8位 「芭蕉自筆 奥の細道」(本文篇) (1997) 7.0


芭蕉自筆奥の細道

芭蕉自筆奥の細道


芭蕉の文章が身に沁みたのは、
間違いなく小西甚一「古文研究法」を通読したおかげだ。
夏のあるとき、ふとこの本を手に取り読み始めたら、
生まれて初めて「奥の細道」の文章が身体に入ってきたのだ。
そうした体験をしてみると、
芭蕉の生きた時間と僕たちが暮らす時間の誤差は小さい。
芭蕉が、いま、ここに生きていることを、
いま現在命を持つ僕が文章を通して感じることができる。
これが知性というものの働きではないか。
自分が知的であるとうぬぼれているのではない。
知性の働きが時を超え、死者との会話を可能にするのだ。
古文が読めるようになってよかったとつくづく思った。


第9位 Jay Rubin "Making Sense of Japanese
What the Textbooks Don't Tell You" (2012) 7.0


Making Sense of Japanese: What the Textbooks Don't Tell You

Making Sense of Japanese: What the Textbooks Don't Tell You


2014年、英文著作で唯一ベスト10入りした。
第3位の村上春樹作品翻訳でも知られるジェイ・ルービンの著作だ。
ジェイによれば日本語は論理的で学びやすい言語だ。
日本語は非論理的で外国人に習得しにくいという通念に
真っ向から論陣を立てているのが痛快だ。
主語があいまいであるとされる日本語は
実はゼロ人称を持つ言語だとジェイは仮説を立てる。
従来の日本語教本では学べないアプローチに
豊富な実例で読者を誘う。


僕たちはこうした日本びいきの非日本人をもっと大切にして
彼らの知恵や識見を活用した方がいい。
日本人だけによる日本人論、日本文化論など
たいした意味はないと僕は思う。


第10位 エズラ・F・ヴォーゲル
「現代中国の父 訒小平(下)」(2013) 7.0


現代中国の父 トウ小平(下)

現代中国の父 トウ小平(下)


2013年末から読み続けた本。
毛沢東後の中国を訒小平がどう受け継ぎ、否定し、切り開いたか。
その戦略、戦術に興味があった。
中国語が堪能で、通訳を介さずとも取材できるのが
フォーゲルの強みのひとつだ。


習近平政権が本書中国語訳の出版を許可したのは
訒小平再評価が現政権の利益になるという意味だろう。
天安門事件の件は一部削除になったものの、
変更を許さぬフォーゲルの主張が政府にほぼ通り、
中国でもベストセラーになった。


次点 諫山創進撃の巨人」①②③ (2010)


進撃の巨人(1) (週刊少年マガジンコミックス)

進撃の巨人(1) (週刊少年マガジンコミックス)


自分が共感するにせよしないにせよ、
メガヒットした作品には多くの人を引きつける何かがある。
その何かを探るためには批評を聞くのでなく批評するのでなく
まずは原典にあたるべし。
初めてマンガ喫茶の会員に登録し、
ある重めの仕事から解放された直後に読んでみた。


ナウシカエヴァンゲリオンの影響は感じたけれど、
面白いじゃないか。
みんなが夢中になる訳が分かる。
こうした作品がヒットするなら
日本社会も日本の若い世代もきっと大丈夫だ。


2014年もあと25時間ほどで終わります。
みなさまにとって充実した一年であったにせよ、
困難な一年であったにせよ、ご多幸を祈ります。
本以外の極私的ベストは、
時間の余裕ができたらアップしますね。
では!


(文中敬称略)