人間力支援という道


終戦と呼ぶ人がいる。
敗戦と訂正する人がいる。
僕も「敗戦」と明確に呼んだ方がいいとずっと思ってきたが、
最近は「終戦」でもよいのか、という気もしてきた。


想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険)

想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険)


確かに中国、韓国に対して侵略しなかったと言えば
歴史を偽ることになろう。
けれども、広島、長崎への原爆投下、沖縄戦東京大空襲などで
日本の非戦闘員が殺されたのも歴史の事実だ。
日ソ条約を破棄してソ連が侵略してきたのも事実だ。
インド、インドネシア、台湾など、
日本の歴史的立場を肯定している国が存在するのも事実だ。


民族とナショナリズム

民族とナショナリズム


国家間戦争で一方を正義、
一方を非正義と規定することが本当にできるのだろうか。
戦争を始める際は、どちらも正義を旗印に闘うのではないか。
正義とは勝者が敗者を裁くときの物差しに過ぎないのではないか。
寛容なき正義こそが
人類にとって滅亡に直結する恐ろしい概念に思える。


そう思うと、戦争状態にピリオドを打つ「終戦」でも
よいような気がしてくる。
戦後に日本や各国が外交、内政で知恵を絞り汗をかき
平和状態を継続していく方が
よっぽど重要で高度な人間力に思える。



  (日経新聞ウェブサイトより引用)


第二次世界大戦後70年。
緒方貞子さんが8月13日付日経新聞インタビューで指摘したように
日本だけが「繁栄の孤島」を享受し続けることは許されない国際情勢だ。
軍事支援ではない日本の国際的役割を考え、
そうした領域で貢献できる人材を育成していく必要があろう。
技術力を伴う人間力支援という道も日本には残されていると思う。