カンヌ16を大急ぎで総括してみる


難民・格差・差別などの社会問題が深刻になっている現実を
フェスティバル・オブ・クリエティビティの鏡は
例年以上に映し出してていたかもしれない。
世界に落とす影に人間の意志で立ち向かう
といった傾向のフィルム作品が上位で目立った。
画像は暗く、音楽・言葉の力を駆使して
見ている者たちをラストまで有無を言わせずグイグイ引っ張っていく。



南米(ブラジル、アルゼンチン、コロンビア他)、
北欧(スウェーデン)の活躍が印象的だった。
南米は社会問題自体がよほど深刻なのだろう。
問題が深刻なほど切れ味のいい作品が生まれるのが皮肉だ。
タブーを避ける傾向が強い日本作品は
同じ土俵で闘おうとすると線が細く見える。
デザインは洗練され、ユーモアはクレイジーと喜ばれるが、
問題や現実は見ないふりをしている。



  (デザイン部門グランプリ Panasonic "Life is Electric"
   電通・八木義博組がついにカンヌの頂点に立った)


日本を始めとしてアジア全般は入賞が伸び悩んだ。
固まりとしてのアジアの存在感は後退した。
その一方、デザインカテゴリーで
日本のPanasonicがテレビCM「光のメニュー」以来34年ぶりのグランプリ。
電通博報堂グループが各3つずつのセミナーで工夫をこらし
自社の優位性を伝えながら、集客にも貢献した。




  (松下電器「光のメニュー」/カンヌフィルム部門1982年グランプリ)


フェスティバルがグローバル化するにつれ、
受賞国、受賞者が拡散していく傾向にあり、
事務局はそれを望んでいる。
2016年では、例えばバングラデシュジョージア(旧グルジア)。
経営視点では参加国が増え、より安定化するのが一番だ。



アメリカ、英国のトップグループは、
そうした傾向をカンヌのレベル・権威低下と見て
不参加まで極端には走らないものの、一定の距離を取り始めている。
カンヌに評価されるだけでなく、
カンヌを自分たちの立場・思考・利害で評価し判断し利用し尽くすのだ。



  (スウェーデンForsman & Bodenforsのアートディレクター、
   コピーライター二人組のセミナーが最終日の収穫)


コンペティションが混戦状態になると
決まって強いのはアメリカ、英国二国。
2016年は突出した感は格別ないのに結局上位の賞を複数かっさらっていく。
ただ、この二国の制作者たちは国単位で受賞数を考えてはいない。
むしろライバル社ばかりが受賞して
自分の会社、自分のチームだけが「特オチ」することを極度に恐れる。
真のライバルは自国にいる。
国の受賞数を算え喜んでいるうちは
カンヌでは「新興国グループ」に入れられているのは間違いない。



   (展示会場裏手は、既に祭りの後の風情だ)


さて、日本のポジションはカンヌでは現在どのあたりだろう。
ときに日本という国単位で歓喜したり落ち込んだりすると同時に
各人各社のエゴが正直に出てきている。
受賞実績、水面下にもぐらせてきたエゴが顔を覗かせる姿から類推すれば
国としては中位グループの上あたりに属するといったところか。


入賞作品は下線部クリックでご覧ください。
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