佐藤優『先生と私』(単行本2014/文庫2016)


著者の佐藤優は1960年生まれ、
僕は1954年生まれ。
6歳年下である。
なのに、本書を読んでいて
何度か懐かしい思いに囚われた。
佐藤優『先生と私』を読む。


先生と私 (幻冬舎文庫)

先生と私 (幻冬舎文庫)


本書には中学時代の佐藤がいる。
高校受験に向かって、ときおり自信を喪失しかける佐藤がいる。
県立浦和高校に合格し、両親の許しを得て
北海道をひとり旅する佐藤がいる。


僕が惹かれるのは、こんな描写だ。


  大宮駅東口発の
  宮原メディカルセンター行きの東武バス42番で、
  15分くらい乗ると僕たちの団地の前原という停留所だ。
  ランプが赤色になる最終バスは
  大宮駅東口を午後10時2分に出る。


  父は、早いときでこの最終バス、
  遅いときはタクシーで零時を回ったくらいの時間に
  帰宅するのが普通だった。
  友だちと話していて最終バスに乗ることになると、
  父と一緒になることも多かった。
  そういうときは、父と一緒に夕食をとった。
                   (p.115)


佐藤の記憶には
固有名詞、数字がすべて入っているのだろうか。
こうした文章を読んでいると
僕の頭にも映像が浮かんでくるのだ。
もちろん佐藤の見ていた映像と
僕の頭に浮かぶ映像は違う。
佐藤の文章に触発され、
自分の父の記憶、中学時代の記憶などが蘇る気がするのだ。



ユースホステルを泊まりながら旅行した北海道で
大学生たちが必ず井上陽水「東へ西へ」を
ギターを弾きながら唱っていたエピソードも微笑ましかった。
中学生だった佐藤少年は陽水のよさも
この曲の歌詞も分からなかったと正直に告白している。



佐藤の同志社時代を綴った作品
『同志社大学神学部』も面白かった。
僕も京都で5年間の学生時代を過ごした。
佐藤とは6年の時間差があるにも関わらず、
通った大学も違うのに、
この本を読んだときも懐かしさに囚われた。
不思議な気がする。


(文中敬称略)