私にとっての唐十郎は、こんな死に方までしてみせる「怪人」だった(野田秀樹)

クリッピングから
讀賣新聞2024年5月6日朝刊
追悼 唐十郎さん(野田秀樹



  嘘(うそ)のような話だが、
  唐さんの「死」が、役者でご子息の大鶴佐助から届いた時、
  私はロンドンのテムズ川の岸辺にある移動遊園地の回転木馬の上にいた。
  まさにこれから木馬が回り始める時、
  私が見た携帯電話に、佐助の文字が浮かび、
  何事かと覗(のぞ)いたその先に
  「今、父が逝きました。寺山修司さんと同じ日です」という短い文があった。


  回転木馬が回り始めた。
  「唐十郎の死」という重い言葉を抱えながら、
  上に下にと木馬は動きまわり続ける。
  ロンドンのテムズ川の岸辺、休日の喧噪(けんそう)の中で、
  回転木馬の鄙(ひな)びた音楽を聴きながら、テムズの景色がまわる。
  それはまるで、唐十郎状況劇場時代に、
  上野の公園で見た芝居のロマンティシズムと詩そのものだった。


  私が二十代の頃から続く「唐十郎」との不思議な因縁を思った。
  その因縁は、この紙面に限りがあるので割愛するが、
  その結末は、去年、何十年ぶりかに唐さんが、
  私の芝居を見に来てくれて楽屋に訪れた時
  「野田君さあ、芝居はこうでなくちゃなあ」
  と言ってくれたところで幕を閉じた。
  唐十郎からの誉(ほ)め言葉は、
  私の人生においても格別、特別のものである。


  その楽屋で一緒に写真を撮りつつ指相撲をしたことを
  思い出しながら回転木馬に乗っていたら、
  いつしか目尻に涙が滲(にじ)んでいた。
  私にとっての唐十郎は、
  こんな死に方までしてみせる「怪人」だった。
  その怪人の死の知らせに、
  私は回転木馬の上から「嘘だ」としか返せなかった。

               (劇作家・演出家・役者)