日曜日の経済学


僕が通勤で使う駅のそばには二軒の書店がある。
いや、もうじき、「あった」と過去形になる。
3月いっぱいでそのうちの一軒が店を閉めることをきょう知った。
地元で60年も続いていた書店が立ちゆかないのだから
事態は尋常ではない。



普段本を買うのはアマゾン、雑誌はキオスクでとなれば、
街の書店はやっていけない。
その店がなくならないように希望するなら、
その店で買い物するしかない。
そう思ってときどきこの書店でもお金を使ってきた。
僕が使うお金くらいではしょせん知れたもんだが。



立ち読み客が結構いたからそれなりににぎわってはいたが、
立ち読みだけではどうにもならない。
書店のない街に暮らすのは本当にさみしいと僕は思うのだ。



一方、僕が珈琲豆を買いに行くMは小さいながらに健在だ。
仲間たちといい豆を直接産地から買い付けて、
とてもリーズナブルな値段で売っている。
駅からもだいぶん距離があり立地条件がいいとは言えないが
一度ついた客はめったなことでは離れない。



アルバイトの店員は使わず、
ご主人が不在のときは奥さんが店に立つ。
珈琲に関することなら客があれこれ尋ねても
即座に答えが返ってくる。


内装などにも手をかけず、とにかく実質で勝負。
200グラム480円のハウスブレンドで十分おいしいのだから、
店の実力が分かるだろう。



Mは経済の荒波にもまれながらも、きっと生き残るに違いない。
チェーン店の豆とはひと味違うし、しかも価格でも勝負している。
消えてゆく店、生き残る店。
日曜日の経済学はまことに厳しく、生きた学問である。