小松洋支『Whales on My Mind』(2002私家版)

6時起床。
二ヶ月ぶりの鎌倉合宿に出かける。
30代20名と毎月一回、一年続けて鎌倉に籠もっている。
(うちひとりはつい最近40になった)



行きの湘南新宿ライン
友人であり同僚である小松洋支さんの『Whales on My Mind』を読む。
小松さんが2002年に私家版として作り我が家にくださった一冊だ。
尋常ではない大洋ホエールズファンであった小松さんが
愛する選手たちを題名として言葉を書き、簡潔な解説を添えた。
この言葉の連なりを詩と呼ぶのかどうか僕は知らない。
小松さんもそんなことには頓着しないだろう。



そのうちの一篇「屋敷1」を紹介する。


   きみは
   屋敷を
   見ることができない


   なぜなら
   三塁をまわったところで
   屋敷は
   速度そのものに
   なってしまったからだ


   もはや
   選手でも
   走者でもなく


   もちろん
   筋骨格でも
   内燃機関でもなく


   ましてや
   複雑系でも
   ヒトゲノムでもなく


   敵も
   味方もなく


   三塁線も
   スタンドも
   立ち上がるキャッチャーも
   視野になく


   球場も
   銀河も
   すでになく


   ただ
   透明な物理となって
   ホームベースを
   通過するとき


   たとえ
   純粋な
   矢印のようなものが
   きみのまぶたを
   拍ったとしても


   きみは
   屋敷要を
   見ることができない


      ("Whales on My Mind" pp.73-76から引用)



その後に添えられた解説は
小松さんがいかに足繁くホエールズのホームグラウンド、
横浜スタジアムを訪れていたか想像できる文章だ。


   屋敷要のランニングホームランを見たことがある。
   それは足が速いとか、走塁が見事だ、というような事柄では、
   もはやなかった。何十年かに一度の自然現象を、
   類い希なる偶然で目撃した人間のように、
   ぼくは、かえって一見無感動に、そのできごとを見た。


                    (同書 P.77から引用)


僕はいまでも小松さんから言葉の力について教わる。
言葉の力は背後にある思いの総量によって決まることを知る。
思いがなく言葉を繕ってもすぐに馬脚をあらわす。
小松さんのような友人、同僚を持てることが
現在の会社に勤めることができた僕の幸運である。



本の装丁は同じく同僚である畑野憲一。
言葉の力を無理なく、けれど慎み深く引き出す文字組みが美しい。
さぁ、もうすぐ電車は大船に着く。
乗り換えて鎌倉だ。
朝一番のセッションで小松さんの本から選んだ言葉を
僕が朗読して聞かせる。



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