庄司薫『さよなら怪傑黒頭巾』を読む。
初めて読んだときから何十年ぶりの再読になるだろうか。
- 作者: 庄司薫
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/04/27
- メディア: 文庫
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ときは1969年。
日比谷高校を卒業し、かといって大学に入るでもなく、
確固たる浪人生活を送るでもない庄司薫くんの五月連休の一日。
薫くんのこのサエなさはいったいなんなんだろうと思うが、
彼の暮らす小世界は、
すぐそこに60年代学園闘争、70年安保闘争と接点を持っている。
その接点は薫くんのふたりの兄や友人たちの姿として描かれる。
10代20代の読者がこの作品をいったいどう読むのか、
僕には関心がある。
1969年前後の時代背景が肌感としてなければ
物語に深く入り込めないのか。
それとも時代や政治の状況とは関係なく
青春に共通するなにかを感じ取ることができるのか。
本筋にはさして影響のない細部が再読で味わえた。
例えばそれは東京の一風景である。
ぼくたちはタクシーを拾って六本木に行った。
日比谷の交差点から桜田門を抜け、
国会を右手に見ながら溜池の方へ向う高速道路わきの道で、
ぼくは、最後の夕焼けの淡い光が、
空いっぱいに柔らかな紫色のひろがりとなって
とけこんでいるのをみつけた。
ぼくは女の子たちが、ふっと溜息をもらしたのを
耳にしたように思った。
(同書pp.179-180から引用)
僕は薫くんより少なくとも一世代下に属する人間である。
一読ヤワな若者の物語のようでいて、
夢や希望を喪失するかどうかの境界線に立つ青春の危機を
静かに見つめている。
そのテーマは再読しても古びてはいなかった。
最後についでの一言。
次にアコちゃんをデートに誘うときには、
思い切ろうぜ、薫くん!