庄司薫『さよなら怪傑黒頭巾』(1969/2012新潮文庫)


庄司薫『さよなら怪傑黒頭巾』を読む。
初めて読んだときから何十年ぶりの再読になるだろうか。


さよなら快傑黒頭巾 (新潮文庫)

さよなら快傑黒頭巾 (新潮文庫)


ときは1969年。
日比谷高校を卒業し、かといって大学に入るでもなく、
確固たる浪人生活を送るでもない庄司薫くんの五月連休の一日。
薫くんのこのサエなさはいったいなんなんだろうと思うが、
彼の暮らす小世界は、
すぐそこに60年代学園闘争、70年安保闘争と接点を持っている。
その接点は薫くんのふたりの兄や友人たちの姿として描かれる。



10代20代の読者がこの作品をいったいどう読むのか、
僕には関心がある。
1969年前後の時代背景が肌感としてなければ
物語に深く入り込めないのか。
それとも時代や政治の状況とは関係なく
青春に共通するなにかを感じ取ることができるのか。



本筋にはさして影響のない細部が再読で味わえた。
例えばそれは東京の一風景である。


   ぼくたちはタクシーを拾って六本木に行った。
   日比谷の交差点から桜田門を抜け、
   国会を右手に見ながら溜池の方へ向う高速道路わきの道で、
   ぼくは、最後の夕焼けの淡い光が、
   空いっぱいに柔らかな紫色のひろがりとなって
   とけこんでいるのをみつけた。
   ぼくは女の子たちが、ふっと溜息をもらしたのを
   耳にしたように思った。


                (同書pp.179-180から引用)



僕は薫くんより少なくとも一世代下に属する人間である。
一読ヤワな若者の物語のようでいて、
夢や希望を喪失するかどうかの境界線に立つ青春の危機を
静かに見つめている。
そのテーマは再読しても古びてはいなかった。


最後についでの一言。
次にアコちゃんをデートに誘うときには、
思い切ろうぜ、薫くん!