宮崎市定『古代大和朝廷』(1988/1995ちくま学芸文庫)


宮崎市定『古代大和朝廷』を読む。
いまとなっては叶わぬ夢だが、
宮崎の日本史通史を読みたかったと思う。
アカデミズムの世界は
昔も今もつまらぬ壁や慣例があるようだ。
宮崎の知は歴史を読み解くためには
アジア史、中国史、日本史、壁を越えて自由自在だ。
世界史概説こそ歴史学者の使命と信ずるからだ。


古代大和朝廷 (ちくま学芸文庫)

古代大和朝廷 (ちくま学芸文庫)


宮崎が書いてきた日本史に関わる論文、
それらの点と点をつなぐ文脈を探るのに役立つ序文で
本書は構成されている。
宮崎は史料やあらたに発見された事実を元に
日本史の通説に挑む。
おのれの学説にプロフェッショナルとしての存在を賭けているなら、
宮崎の横やりを無視できぬはずだ。



ところが知的喧嘩を挑む巨人に
たいがいの学者は黙殺の構えだ。
欧米の知の受け売りで商売をしてきた学者ほど、
アジアやアジア史学者を蔑む。
アカデミズムの外にいる僕には取るに足りぬくだらぬ話だ。
学会のしきたりにつきあう暇など、
日々の仕事に励む僕たち生活人にあるはずもない。



その代わりに宮崎の著作を通じて
いまも歴史講義を受けられる市井の幸せがある。
今年僕がレバノン、トルコでの仕事を喜んで引き受けたのも
西アジアに文明の勃興を見る宮崎史観に影響を受けているからなのだ。


(文中敬称略)