宮崎市定『中国史(上)』(1977)を再読する。
先生、70代中盤の作品である。
筆に少しも衰えを感じないどころか、
既知数の研究者でなく未知数の世代を読者に想定した
本書の気迫はどうだろう。
- 作者: 宮崎市定
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1977/06/24
- メディア: 単行本
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先生の歴史観は半端ではない。
歴史は観念ではなく最も具体的な現実である。
もしも火星人がいて、
数千年間地球を精密な望遠鏡で観察していたなら、
恐らく私と同じ結論に達したであろう。
歴史はたとえ火星人にでも理解されるほどのものでなければ
本当の歴史とはいえない。
(向井敏『表現とは何か』p.58より孫引き。
原典は宮崎市定『アジア史論考』中巻「東洋的古代」)
数千年に及ぶ中国史を先生の筆を通じて観察していると、
簒奪、禅譲、革命などで権力が動く姿が浮き彫りになる。
ミクロの眼で見れば
多くの命が奪われ街が破壊される悲惨な光景である。
一方俯瞰で見れば
数千年かけて人類が全体としては進歩している様が見えてくる。
古代中世の政治において専制と独裁が異なることも
常識をいま一度疑うための指摘であった。
ある時期の歴史の歯車は、
専制君主の決断と実行なしには回転しない。
人間が集団をなし社会を構成するときに起こりうることは
過去数千年の歴史からかなりの程度予測可能である。
現代社会や会社組織で起こることを
人類史数千年分のビッグデータから眺め思考する訓練が要る。
ビッグデータとは、いま、このときを捉える
デジタル領域の現代的トピックだけではない。
先生の著作を再読し、僕はそう考えた。
- 作者: 向井敏
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1993/04
- メディア: ハードカバー
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(文中一部敬称略)