ヒコロヒー評:上出遼平『ありえない仕事術』(徳間書店、2024)

クリッピングから
毎日新聞2024年4月27日朝刊
「今週の本棚/話題の本」ヒコロヒー
上出遼平『ありえない仕事術』(徳間書店、2024)



  自分を救えるのも窮地に陥れるのも
  常に自分しかいないと気がついたのは
  いつ頃(ごろ)だっただろうか。
  敵や味方も好きなものも嫌いなものも、
  それらを作り出しているのは
  紛れもなく己の心や解釈であるからして、
  つまりは己自身こそが最たる敵となり味方となりうるのだ
  と漠然と知っていたのは、いつ、そしてなぜだったのだろうか。


  『ありえない仕事術』(上出遼平著・徳間書店・1050円)は、
  そのキャリアをテレビ東京でスタートさせた元テレビマンで
  ドキュメンタリー監督である上出氏が
  「仕事の方法論」というテーマで綴(つづ)った一冊である。
  彼が制作したドキュメンタリー番組や
  幾つかの著書を興味深く貪(むさぼ)っていた自分にとって、
  本書はやや衝撃的だった。


  タイトルが凡庸なビジネス書
  ないしは自己啓発書のそれであることに
  「どうせ出版社がでしゃばったんじゃ、
  本人は抗(あらが)えんかったんやのう」などと推理をし、
  権力を憎み、著者に同情するという慈しみの心も忘れなかった
  (何とも素晴らしい人間性である)。


  しかしそれは、最初のページをめくる前の一瞬に過ぎなかった。
  最後のページをめくり終えた頃には、
  なぜこのようなタイトルにしたかがよく理解できた。
  このような本を手に取ってしまう人にこそ、
  届かなければならなかった。
  そのための罠(わな)めいた題名だったのだろうか、
  私のタコ推理も程々にである。


  仕事と評価というのは切り離せないが、
  成功や評価の奴隷になってしまえば自分自身を見失うだろう。
  評価されるという経験はドラッグに近い。
  あの恍惚(こうこつ)感は他に代え難く、
  名誉心を煽(あお)られ、
  そうして知らぬ間に競争を意識させられていく。
  その結果、かつて重んじていた自分自身の理念さえ邪険に扱う。
  

  ひどく脆弱(ぜいじゃく)な「自分の正義」なるものの
  敵となるのか、味方となるのか、
  それは常に自分で選択しなければならない。
  あなたは今どこにいるだろうか。
  そこは、どこだろうか。
  あなたの心があるべき所にあればよいなと、
  余計なお世話を言いたくなってしまった。

                  (芸人)