忘れることは恐ろしく、忘れられることは悲しい。


午前中3時間を使って、
ベルリンスクールセッション。
世界各国から参加している三十数名の強者相手に
1時間半、英語で話すのは容易なことではない。
どれほど準備をしてもこれで安心、とはならない。



僕が担当するようになって三年目。
2013年に続いて、3.11以降のコミュニケーションを
事例を使って話すことにした。
タイトルは、"Communications in Japan After 3.11
―What We Could Not Do and We Could―"
(3.11以降の日本におけるコミュニケーション
―私たちにできなかったこと、できたこと)である。
この一年の事例を収集し、原稿、スライドのすべてに手を入れた。



この内容を準備しているとき、みなさんに話すとき、
自分の中にも傷が残っていることを確認する。
こうした機会でもなければ、
あまり深く掘り下げたくないと無意識に忘却しているのだ。



3.11から1年たった日に
岩手、福島、宮城の地方紙4紙が発行した
特別紙面にこんな文章がある。
「忘れることは恐ろしく、忘れられることは悲しい」。
ベルリンスクールセッションは、
僕たちが3.11を忘れていないことを証明するための試みだ。