百年後の立ち飲みの品格


M歯科での治療を終え、
終業時間は過ぎていて日没までまだ間がある。
丸の内線四ッ谷駅で下車し、袋小路の突き当たり、
老舗スタンディングバー「鈴傳」を久方ぶりに覗く。



口開けからまださほど時間が経っていないが、
半分ほどは客で埋まっている。
見慣れたおばちゃんの姿が見えず、
若い男女がカウンター内に入っている。
僕が通い始めた頃のふたりの名物おばちゃんは
これでどちらも引退したらしい。
消息を聞いて哀しくなることもままあるから、
Let it be. そのままの状態を黙って受け止める。



小皿のおつまみはずいぶん前に値上げして
380〜450円だから決して安い訳ではない。
鈴傳」がいいのは伝統なのか文化なのか、
安いだけの立ち飲みと違って品格があることだ。
品格が求められるのは国家だけではない。
市井の立ち飲みにも目に見えぬ品格がある店と、
その欠片もない多数の店が存在する。
僕は前者を好む呑兵衛であるということだ。



スーパードライ小瓶と富山の満寿泉を二合。
おつまみを三皿、竹輪胡瓜、イカ焼き、茄子煮びたし
〆て2,000円少々払って引き上げる。


百年後も、袋小路のどん詰まりに、
この立ち飲みの小さな空間が残っていたら
どんなにいいことだろうか。
百年後にも店と客が創り出す品格が
小さな空間を満たしていたとしたら
呑兵衛たちにどれほどの慰めを、
働く人たちにどれほどの励みを与えるだろうか。