「絆」に触れたような感覚


朝ご飯を仲間たちと食べながら少しおしゃべりしたら、
もう三々五々の別れだ。
仕事に戻る人、家族のところに帰る人。
デジタル時代だからこそ、
集まって顔を見て直接話すことにも意味がある。



人間同士、同じ職業の仲間の「絆」のようなものが
国籍、年齢、性別を超えて芽生える瞬間がある。
「ネットワーク」と呼ばれる無機質な概念に
血肉が吹き込まれる瞬間と言えば、少し大仰に過ぎるか。



時間をひねり出し、肉体にも負荷をかけて会うからこそ、
「絆」に触れたような感覚が生まれるのかもしれない。
理屈にならないところが、面白い。