本田靖春『誘拐』(1977/2005ちくま文庫)


出張中は寝ても覚めても現地にいる訳だから、
すきま時間がある。
持参した本はすきま時間の友となる。
本田靖春『誘拐』を読む。


誘拐 (ちくま文庫)

誘拐 (ちくま文庫)


先の東京オリンピック開催前年1968年4月に起きた誘拐事件、
当時4歳の被害者・村越吉展(よしのぶ)ちゃんと
その実行犯で1971年に死刑となった小原保を二つの中心に据えた
ノンフィクション作品である。


幼児を営利誘拐・殺害し、
犯行後2年間も罪を認めなかった小原に
なんら同情の余地などないと作品を読む前には思っていた。
読後も小原を断罪し死刑に処したことに賛成する気持ちは
変わらなかった。
けれども、なぜ小原が罪を犯すかに至る時代的動機、家庭的動機、
個人的動機を分析する本田の筆には傾聴に値するものがあった。



  (今年のカンヌ会場ではMartina Paukovaのイラストレーションが
   各所を彩り清涼剤となった。僕からIllustration Lionを差し上げたい。
   こちらもご覧ください)


オリンピックを頂点とする日本の経済的ピークのシンボルに
小原が生まれ育った東北の貧困が影を落としていたことは歴史的事実だ。
貧困がこれだけ人間を経済的だけでなく
精神的血脈的にも追い込むものなのか。
僕の想像を越えていた。



平塚八兵衛刑事の事実に基づく気迫の追求に自白した後、
小原が入会を許された短歌の会で詠んだ歌には
確かに人間性のかけらの輝きがあった。


  おびただしき煙は吐けど我が過去は
  焼きては呉れぬゴミ焼却炉


       (p.346/福島誠一名義)


小原が自白する吉展ちゃん殺害シーンは
読み進めるのがつらかった。
小原に安心しきってその腕で眠りに落ちた幼児を
蛇皮ベルトで、つづいておのれの手で絞め殺した。
吉展ちゃんの鼻からわずかな血が出て、
小原はそれを手で拭いた。
       (p.336より抜粋引用)



眠りの中の死で
吉展ちゃんが苦しむ時間が少なかったともし仮定できるなら、
それがせめてもの救いなのか。


小原の平塚への自白がもしなければ
吉展ちゃん誘拐事件は捜査時間切れで
迷宮入りになった可能性が高い。
犯した罪を許すことはできないが、
自白し、罪を死で購った人間を許すことが求められるのだろうか。
僕自身はいまだすっきりとした結論が出せない。
が、そうした思いを読者の心に残せたことで、
本田の作品は歴史に残る名著になったと考えている。


39年前『文藝春秋』誌初出。読者賞受賞。
読売新聞退社後フリーランスライターとして
本田が世に問うた出世作
発表28年後にちくま文庫として復刊。


刑事一代―平塚八兵衛の昭和事件史 (新潮文庫)

刑事一代―平塚八兵衛の昭和事件史 (新潮文庫)


(文中一部敬称略)