ヨコ社会がチベットへの道を拓いた


スクラップブックから。
朝日新聞2017年9月14日朝刊
「語る—人生の贈りもの」 
社会人類学者 中根千枝(第8回)



   《1945年8月15日の正午、
   終戦を伝える玉音放送が流れた。
   津田塾専門学校2年生だった中根さんはモンペを脱ぎ、
   鮮やかな空色のワンピースに着替えて外出した》


   あんなにうれしいことはなかったから……。
   私にとっては、待ちに待った知らせだったの。
   夜中に空襲で起こされることもなくなるって。


   「そんな格好をして、
   今のご時世を何だと思ってるんですか」
   と塾長さんに叱られたけれど、
   「だって戦争はもう終わったんじゃないですか」
   って言い返しました。
   (中略)


   「国体の本義」なんて授業もつまらなくて……。
   つい「つまらない」と声に出てしまって、
   先生に叱られて級長を降ろされちゃいました。
   戦争が終わったときに思ったのは、
   これで大陸に行けるということでした。


            (聞き手 編集委員塩倉裕



30歳の頃ロンドン大学で一緒に学んだ
費孝通(フェイシャオトン)を頼って
念願だったチベット行きを画策する。
費は中国で活躍する著名な研究者になっていた。
研究者通しのヨコのつながりが中根のかすかな希望だった。


還暦前の1985年、費の助けで特別許可がおり、
中根のチベット入りが実現した。
二人がロンドンで過ごした時から
30年近い時間が過ぎていた。


国家間の壁を迂回する細道のひとつは
人間同士の信頼の糸だ。
タテ社会の国家や組織のルールではなく、
ヨコ社会の人間関係が物を言った好例だ。


タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)

タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)

社会人類学―アジア諸社会の考察

社会人類学―アジア諸社会の考察

(文中敬称略)