コピー十日会が殿堂に入った夜


1958年から62年までの4年間、
93人の会員を擁した「コピー十日会」が日本に存在した。
62年の東京コピーライターズクラブ(TCC)設立、
翌63年「コピー年鑑」創刊の二つを遺産として
十日会は歴史の彼方に消え去った。



そのコピー十日会を
日本におけるコピーライターという職業の源流として
Hall of Fame(コピーの殿堂)顕彰をするために
リーダーOさん、TCC事務局Sさんと
この数ヶ月、準備してきた。



(コピー十日会初期メンバー写真、全93名会員名簿)


広告はとりわけ「いま」と
「ほんの少し未来」に着目する経済活動の一環である。
過去は有用なものであろうと無用なものであろうと
ほぼ平等に急速に忘れ去られる。
「いちいち記憶していたらやってられないぜ」
楽天的で、いい加減な姿勢が
業界人の骨の髄にまで染み込んでいる。


調べれば調べるほど、
コピー十日会のメンバーは雲の上の人たちでなく
僕たちにそっくりだった。
いっぱしの意見は言いたがるが行動に結びつかず、
会合には欠席しがちで、会費は滞納する。
そんな様子が残された会報からうかがえる。


どこまでも人間らしく、
人と社会の気持ちを本音でギュッと掴んで
言葉や映像に圧縮し「見える化」する技術に長けていたからこそ、
60年間、生き延びてこられた職業なのだ。
そう思えた。



(中央がエンブレム。TCC事務局Hall of Fameルームに飾られる)


職業の矜持に直結する歴史に
もう一度光を当てるお手伝いができ
裏方として数ヶ月働いた甲斐があった。
顕彰式には元会員4名が来賓として出席してくださった。
返礼スピーチはTさんに引き受けていただけた。
返信はいただいたものの、
出席が叶わない方も数名いた。
来年以降の顕彰であったなら
過去への単なる追憶に終わったかもしれない。



コピー十日会の93名のみなさん、
既に冥界に行かれた方、
(39年半前、いまも勤めている会社で、
新人の僕を受け入れてくださったT.K.元局長もそのひとり)
病気療養中でご欠席の方も、
本日はおめでとうございました。