ナイジェリアの焚き火











僕たちの会社の部門では
全体集会を「ナイジェリアの焚き火」と呼ぶ。
もともと資生堂福原義春名誉会長が
著書に書いていた言葉を引用した。
かつてナイジェリアのある村では電力が使えず、
人々は焚き火のまわりに集まって
コミュニケーションを計っていた。
あるとき、待望の電気が村に通じることになり、
家々に灯りが灯った。それは幸福なことだった。
ところが、しばらくたつと
あれほどコミュニケーションの良かった村に
ディスコミュニケーションの兆候が現れた。
人々は灯りの灯った自分の家にこもり
村の人たちと会話することをしなくなった。
老いも若きも焚き火のまわりに集まり
言葉を交換することで養われていた文化が
電気のおかげであっと言う間に衰退したのだ。
僕たちも日頃はメールをやりとりしたり、
コンピュータに向かって仕事をしている時間が増えている。
会議の最中にPCでメモを取る人、
話を聴いているふりをして
携帯でメールを打ったり読んだりしている人、
さまざまである。
テクノロジーの発達によって
得たものもあれば失ったものもある。
そこで三ヶ月にいっぺん全員が同じ場所に集結して
考えや言葉を交換する。アナログの復権である。
それが僕たちの「ナイジェリアの焚き火」だ。
本当は火を焚きたいところだが
都心のオフィスではままならない。
スタッフの発案で二つのモニターで
高画質の焚き火を焚いて我慢する。
この集会では普段気づかぬ人の一面が垣間見られたりして
なかなか有益だと、僕は思っているのだ。
デジタルとアナログは補完し合って
コミュニケーションを豊かにする。