『シリコンバレーから将棋を観る』


梅田望夫の新刊
シリコンバレーから将棋を観る 羽生善治と現代』を読む。
梅田の書くことについてのサバティカル宣言があったから、
このタイミングで新刊を読めるのは僕には僥倖だった。


この本は梅田がこれまで書いてきたどの本とも違う。
そもそもが梅田の趣味であった「将棋鑑賞」と、
現代将棋界をリードする棋士たちとの
梅田の私的交流から生まれた本なのだ。


シリコンバレーから将棋を観る―羽生善治と現代

シリコンバレーから将棋を観る―羽生善治と現代


僕は自分の仕事をする際、
棋士たちの考え方、行動の仕方をおおいに参考にしてきた。
大山康晴中原誠米長邦雄に始まり、
谷川浩司羽生善治渡辺明


広告の企画制作の仕事と、将棋の仕事は、
頭脳スポーツのパフォーマンスという点で共通点があるのか、
迷ったとき、考えあぐねたとき、
彼らの一言一言は実に重みがあり、僕の羅針盤となってくれた。



梅田望夫棋士たちの発想を
自分の仕事や生き方に取り入れていたことは
彼のブログなどを読んで知っていた。
しかし、この著書を読んで、
将棋の進化とウェブの進化をつなぐ道が地下水脈のように、
これほど確かに結ばれていることを証明されると
僕の感慨もひとしおだった。



僕も将棋を指さない将棋ファンであった。
棋譜を観ても、それによって想像力を刺激されるほど
将棋に詳しい訳でもない。
けれど、梅田の著作を読み、将棋の駒を一揃い購入して
現代将棋の最前線にいる棋士たちの指す将棋を並べて
彼らの思考過程を追ってみたい意欲が湧いてきた。
そうか、「将棋鑑賞」という道があったのか。



この本をまずは通読して一番印象に残ったのは、
「第七章 対談ー羽生善治x梅田望夫」のこんなやりとりだった。


  梅田 この十年では特に、本当に未知の局面で、最善手、
     またはそれに近い手を思いつける能力のある人が有利になった
     ということなんでしょうか?
  羽生 いや……やっぱりその、いかに曖昧さに耐えられるか、
     ということだと思っているんですよ。
     曖昧模糊さ、いい加減さを前に、どれだけ普通でいられるか、
     ということだと思うんです。

                         (pp.244-245)


  羽生 (前略)全体に流れが起きたのは、本当にここ最近のことです。
     あの……何と言えばいいのか、今の私たちがやっていることって、
     ある種、学術的な感じもするときがあるんです。
     棋士の人たち、ゲノムかなんかの解析をやってるんじゃないか、
     と思うときもあります。
  梅田 そう、そう! 研究者集団のような側面はありますよね。


                         (pp.270-271)




梅田はこの本でまたしても前代未聞のことに挑戦した。
すなわち、この本を外国語に訳して発表するとき、
どの言語に訳す際もいっさい著作者の了承を得ずにやって構わない
自身のブログで宣言したのだ。



おそらく将棋のグローバル化のために自分ができる、
もっとも有効である戦略、方法を選択したのだろう。
この決断は素晴らしい。
こうした試みが点から線、線から面につながっていくことで
世界による将棋の再発見が起こることだろう。



と、ここまで書き終えたところで
梅田のブログに行ったところ、事態は急展開していた。
梅田がブログで宣言した4月20日からわずか15日。
英訳、仏訳プロジェクトがすでにスタートして
その進捗が確認できるのだ。
英訳に至っては、この連休中に第一稿の下訳を
自主グループで完成してしまった!


このプロジェクトによって
Web2.0におけるオープンソースの力の凄まじさを
またも僕は知ることになった。
群衆の叡智による、このスピード感ときたらどうだろう。
情熱を原動力に僕たちはまだまだ未知の領域を開拓できるのだ。


(文中敬称略)