『日本の歴史16 豊かさへの渇望』


自分が生きてきた時代の歴史というのは
案外、灯台下暗しである。
中学校、高校の日本史でもたいがい現代史のところは
ほとんど時間が足りなくなって、はしょられることが多い。
同時代の価値を定義することは、なかなか難しい。


豊かさへの渇望 (全集 日本の歴史 16)

豊かさへの渇望 (全集 日本の歴史 16)


小学館の「全集 日本の歴史 全16巻」は
小学館創立85周年記念出版。
新視点で日本の歴史をとらえた企画であると聞いていた。
原研哉アートディレクション
どらえもんの表紙(さすがは小学館!)に誘われて
最終の第16巻「1955年から現在 豊かさへの渇望」(荒川章二)を
読んだ。



目次は以下の通りである。


  第一章 「戦後社会」をめぐる対抗 ー1955年〜
  第二章  戦後大衆社会の成立 −1960年代〜
  第三章  豊かさの成熟とゆらぎ −1975年〜
  第四章 「戦後」からの転換 ー1995年頃〜


歴史を勉強していていつも知るのは、
普段は日々の暮らしの中に僕たちの意識があるが、
俯瞰的、時系列的に社会を眺めると
そこには抗い難い力が働いていることだ。
大河の激流の中で、個人の存在、役割とはなんだろう。



一方で歴史書に書かれない市井の人々、
つまり大多数の僕たちの暮らしは厳然といま、ここにある。
その尊さを踏みにじられてなるものか、の思いは日ごと強くなる。
個人、家族、組織、社会、国家。
物事はいくつかのレンズで複合的に観察し、
同時に自ら思考し、判断し、行動することが大切なのだろう。


この本がキーワードにした「豊かさ」が戦後どう変化してきたか。
国家の求めた「豊かさ」と、
僕たちひとりひとりが求めた「豊かさ」は、
どこで一致し、どこで相反してきたのか。
そのことを考えてみる。



ゴールデンウィークは、
日頃虫の目で観ることが多い日々を
鳥の目で観直す絶好の時間であるように思う。
この本は、戦後から現代までの時間と、
そこに拮抗していた力の存在を
鳥の目で観察するのに役立つ本である。



世田谷美術館で開催中の写真展
日本の自画像 写真が描く戦後 1945-1964」をこの本と合わせて
ご覧になってはどうだろう。
自分たちの暮らしと国家の輪郭が見えてくる気が僕はした。