ジョン・ダワー『増補版 敗北を抱きしめて』(下)(2004)


ジョン・ダワー『増補版 敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人』
(下)(2004)を読む。
昭和史を読むと正直、晴れやかな気持ちにはなれない。
殺りく、権謀術策、まやかし、扇動、洗脳などなど
人間社会の負の要素がぎっしり詰まっているからだ。


無論、昭和史に限ったことでなく、
世界史・日本史を通読すれば
人類の歴史はおよそそんなことの繰り返しである。


敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人

敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人


確かに市井の人間が一日仕事をし、
あれこれ愉快でないこともあったが、
風呂につかり、ホッピーを飲んで、気分よく眠りについた……
というのでは歴史にはなりにくい。



いや、そうか?
ブログ、ツイッターSNSmixiフェイスブックなど)を見れば、
普通の人間の、普通の一日、
それほど普通でもない一日が書かれている。
その集積も歴史を形作るのではないか。


これからの歴史書はスタイルが変わるかもしれない。
国家や大組織の歴史と、
個人や小コミュニティの歴史が並行して記述される可能性もある。



ジョン・ダワーの著書は大所高所からの視点だけでなく、
庶民の文化や行動にも目配りしている点が想像力をかきたてる。
僕の両親、祖父母たちが
3月10日の東京大空襲で逃げまどっていたのが、
つい65年前のことである。


歴史のトビラが案外僕たちの日常生活のそこかしこにあるのも
少し考えてみればなんら不思議なことではない。
普段はそうしたトビラを見ようとしないから
見えないだけなのだろう。



晴れやかな気持ちにはなれなくとも、
歴史からいまを学ぶことはできる。
人間がダーク・フォースだけでなく
フォースをも駆使できる存在であることを静かに教え、
諭してくれるのも歴史である。