石川真澄・山口二郎『戦後政治史 第三版』を読む。
共著となっているが石川は2004年に逝去。
第二版、第三版と山口が加筆している。
(山口の名が著者名で記されるのはこの第三版から)。
石川執筆の『データ戦後政治史』(1984: 岩波新書黄版)がこの本の原型。
石川は大学卒業後、朝日新聞に入社、
定年までほぼ政治記者として勤め上げる。
第二版の「はじめに」にこうある。
- 作者: 石川真澄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2004/08/20
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この本は戦後日本政治を「論じる」ことを主な目的としていない。
どんなことがあったかをコンパクトに記録することを
少なくとも第一義にしている。
(中略)
ただ、長年の習慣として、事実の文と意見の文とが、
余りにも混然となってしまわないことには注意を払い、
できるだけ事実を歪めないようにしたつもりである。
(p.vより引用)
- 作者: 石川真澄,山口二郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2010/11/20
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巻末の69ページに及ぶ「データ国会議員選挙の結果」は
石川の発想であり、これを眺めていると想像がふくらむ。
ベルリンスクールの教授のひとりは、
「データは絶対値にごまかされず、変化を読み取れ。
変化にこそ真実がある」
と教えてくれた。
都度の国政選挙のたびにメディアはお祭り状態になり、
我々も否応なく煽られる。
しかし、こうして戦後の国政選挙の結果をデータとして見ていると、
そのときそのときの数字の変化から
意味を読み取る愉しみが生まれる。
例えば、現在の衆参ねじれ国会である。
確かに政党、政治家からすれば
これほど議決が進みづらい状態はない。
けれども、選挙民の我々からすれば、
民主党にせよ自民党にせよ
それ以外の政党にせよ、
一党に国の行方を決めさせるには心もとない。
選択の結果がねじれである。
民意がねじれている訳ではない。
政権交代は認めたものの衆院の2/3を民主党に渡さず、
連立なり、議案ごとの連携、話し合いなしには
独断で物事を進めることはできない。
実に微妙な数字配分である。
自民党が政権を持っていた末期には
自公で衆院の2/3以上を確保していたものの、
参院では過半数には届いていなかった。
したがって政権運営に苦労していた。
与党であっても独走はできない数の論理だ。
主として選挙を通じてしか
政治的意見を表明できない市井の人間からすれば、
それぞれの政党にどれだけの議席、票数を預けるかは、
誇張でなく、生きるか死ぬかの決断につながる行為である。
そうした民意の集大成の表現を
メディアや有識者に一方的かつ断片的に解説されるのでなく、
データから自ら直接読み取ることは価値ある思考過程だと僕は思う。
本書はその点でなかなか役に立つ。
ある政治的立場からの発言でなく、
ジャーナリスティックな視点による日本戦後政治史なのである。
山口は北海道大学大学院法学研究科教授(行政学、政治学)。
石川より25歳年下である。
ジャーナリズムとアカデミズムの
幸福なブレンディングであり、
世代を越えた協業によってタイムリーな第三版となった。
(文中敬称略)