石川真澄・山口二郎『戦後政治史 第三版』(2010)


石川真澄山口二郎『戦後政治史 第三版』を読む。
共著となっているが石川は2004年に逝去。
第二版、第三版と山口が加筆している。
(山口の名が著者名で記されるのはこの第三版から)。
石川執筆の『データ戦後政治史』(1984: 岩波新書黄版)がこの本の原型。
石川は大学卒業後、朝日新聞に入社、
定年までほぼ政治記者として勤め上げる。
第二版の「はじめに」にこうある。


戦後政治史 新版 (岩波新書)

戦後政治史 新版 (岩波新書)


   この本は戦後日本政治を「論じる」ことを主な目的としていない。
   どんなことがあったかをコンパクトに記録することを
   少なくとも第一義にしている。
    (中略)
   ただ、長年の習慣として、事実の文と意見の文とが、
   余りにも混然となってしまわないことには注意を払い、
   できるだけ事実を歪めないようにしたつもりである。
 
                        (p.vより引用)


戦後政治史 第三版 (岩波新書)

戦後政治史 第三版 (岩波新書)


巻末の69ページに及ぶ「データ国会議員選挙の結果」は
石川の発想であり、これを眺めていると想像がふくらむ。
ベルリンスクールの教授のひとりは、
「データは絶対値にごまかされず、変化を読み取れ。
 変化にこそ真実がある」
と教えてくれた。



都度の国政選挙のたびにメディアはお祭り状態になり、
我々も否応なく煽られる。
しかし、こうして戦後の国政選挙の結果をデータとして見ていると、
そのときそのときの数字の変化から
意味を読み取る愉しみが生まれる。
例えば、現在の衆参ねじれ国会である。


確かに政党、政治家からすれば
これほど議決が進みづらい状態はない。
けれども、選挙民の我々からすれば、
民主党にせよ自民党にせよ
それ以外の政党にせよ、
一党に国の行方を決めさせるには心もとない。
選択の結果がねじれである。
民意がねじれている訳ではない。



政権交代は認めたものの衆院の2/3を民主党に渡さず、
連立なり、議案ごとの連携、話し合いなしには
独断で物事を進めることはできない。
実に微妙な数字配分である。
自民党が政権を持っていた末期には
自公で衆院の2/3以上を確保していたものの、
参院では過半数には届いていなかった。
したがって政権運営に苦労していた。
与党であっても独走はできない数の論理だ。



主として選挙を通じてしか
政治的意見を表明できない市井の人間からすれば、
それぞれの政党にどれだけの議席、票数を預けるかは、
誇張でなく、生きるか死ぬかの決断につながる行為である。
そうした民意の集大成の表現を
メディアや有識者に一方的かつ断片的に解説されるのでなく、
データから自ら直接読み取ることは価値ある思考過程だと僕は思う。
本書はその点でなかなか役に立つ。
ある政治的立場からの発言でなく、
ジャーナリスティックな視点による日本戦後政治史なのである。



山口は北海道大学大学院法学研究科教授(行政学政治学)。
石川より25歳年下である。
ジャーナリズムとアカデミズムの
幸福なブレンディングであり、
世代を越えた協業によってタイムリーな第三版となった。


(文中敬称略)