江弘毅『街場の大阪論』(2010)


江弘毅『街場の大阪論』を読む。
腰巻に内田樹先生のコピーが入っている。
「大阪のことはすべて江さんに教わった(半分ほんとです)」。
内田先生の『街場のメディア論』が面白かったから
タイトルと推薦文につられて読むことにした。


街場の大阪論 (新潮文庫)

街場の大阪論 (新潮文庫)


「第3章 街をビジネスモデルで語れるか!」の冒頭に収録されている
「日限(ひぎり)萬里子さんのこと」が一番印象に残った。
僕は日限さんのことはまったく知らなかったが、
本書にこうある。


   人よんでミナミの「ママ」。アメリカ村の生みの親、
   そして[ミュゼ大阪]で堀江の九〇年代以降の
   「新しい街」としての性格を決定づけた張本人。
                       (p.184)



大阪の事情に疎い僕にはこれだけの記述では
日限さんの人柄がなかなか浮かんでこない。
江は本書で街と人の関係について
生まれ育った大阪(筆者は岸和田出身)を根城に語っている。
文化と文明の対比で言えば、
江は文化により軸足を置いていると僕は読んだ。
江と親交があった日限さんは大阪の文化を大切にしながら、
新しい街づくりを実践した人である。
それが、「アメリカ村」であり、「ミュゼ大阪」だったのだ。



新しい街づくりと言えば聞こえはいいが、
たいがいは効率性、収益性、
あるいは自治体の都合や建前が第一になるものだ。
市井に暮らす人間の、言語や論理で語り尽くせぬ文化は
ないがしろにされるのが常である。
そうした動きに抗した女性が
かつて大阪に存在し活躍していた事実はとても興味深かった。
埋もれてしまいがちな大阪史の一面である。



江は関西圏の地域雑誌「ミーツ・リージョナル」の元名物編集長。
内田先生のあとがき「街場のインフォーマント」を読むと、
江が大阪で先生のコーチ役を務めた経緯が分かって面白い。
食べ物と場所がコーチングの主たる教室である。
人間にとって食べるところ、食べるものは
文字通り皮膚感覚の文化に触れ、学ぶ対象そのものになる。


ステロタイプの「コテコテ」「お笑い」の大阪ものと異なり、
骨のある大阪論を読ませてもらった。
大阪が己の文化の根をどこにどんな風に張っているのか、
本書を読むことで僕の想像がふくらんだ。
6月に文庫本として出版され、その月のうちに第二刷。
僕が覗いたあちこちの書店で品切れが続いていた。


(文中一部敬称略)


wikipedia:日限萬里子


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