宮崎市定(礪波護編)『アジア史論』(2002)


宮崎市定(礪波護編)『アジア史論』を読む。
宮崎史学のひとつの集大成であり、
かつ宮崎の著作が初めての読者には最高の入門書である。


アジア史論 (中公クラシックス)

アジア史論 (中公クラシックス)


礪波が厳選した宮崎の著作は次の6篇。
冒頭に礪波の「アジア史家の宮崎市定」、
巻末に「年譜」をおさめる。


   1. 世界史序説
   2. 中国古代史概論
   3. 六朝隋唐の社会
   4. 東洋的近世
   5. 西アジアの展望
   6. 東洋史の上の日本



独創性について述べた宮崎の「むすび」の文章に
僕は感銘を受けた。
少し長くなるが、引用する。
(段落の区切りは原文になく、
 ブログ上で読みやすくするために文章の区切りを変えた。)


    (前略)


   一体新しい文化とは、
   内側から創造されたものであるべきである。
   ところが創造とは、あらゆる有利な条件が揃った上で、
   その中の最も有益な組合が成就される場合のことで、
   甚だ偶然に左右されがちなものである。


   だから独創のためには、
   大きな無駄と危険を覚悟しなければならぬ。
   第一には見当をつけるために大きな無駄がいり、
   次には見当をつけた範囲内でもまた大きな無駄がいる。
   もしもせっかくの見当が間違ったり、見当が合っていても、
   ただ一つの必要な材料が足らぬと、
   それまでの苦心が水の泡になる。



   それが輸入や模倣の場合は、結果が先に出ているのだから、
   ほとんど無駄をせず安全に借りてくることができる。
   そして文化の落差が大きければ大きいほど、
   借りてきた輸入品が新しく見える。


   そんなことからして、日本ではどうやら、
   新しいものとは外国に既にあるものを移入することだ
   というような観念が成立したのは仕方ないとして、
   創造の努力を怠り、創造の価値を軽視する風さえ生じた。
   これは困ったことである。


       (「東洋史の上の日本」pp.378-379より引用)



執筆は1958年。
半世紀以上前に書かれた文章とは思えぬくらい
今日でも心に新鮮に響く。


(文中敬称略)