渡邉恒雄『反ポピュリズム論』(2012)


渡邉恒雄『反ポピュリズム論』を読む。
渡邉は86歳。これまでに20冊ほどの著訳書がある。
本書もゴーストライターではとても書けぬ筆致であり
自ら執筆したのは間違いあるまい。
いまだに渡邉の知的体力は決して侮れない。


反ポピュリズム論 (新潮新書)

反ポピュリズム論 (新潮新書)


  「大阪に幽霊が出るー橋下徹という幽霊えある。
   古い日本のすべての政党は、
   この幽霊を退治しようとして
   神聖な同盟を結んでいる」


          (本書p.9「はじめに」より引用)


マルクスエンゲルス共産党宣言」のパロディから
渡邉は本書を書き出す。
アドルフ・ヒトラー近衛文麿、ロイド=ジョージ、
小泉純一郎から橋下徹まで。
耳あたりのいい言葉で大衆を扇動し、
大衆に迎合する政策で国家を滅ぼすポピュリズムに抗するのが
本書のテーマである。



ポピュリズムの力を拡大してきたメディアの罪にも触れる。
自ら巨大メディアのトップを長年勤め、
かつメディアからの攻撃に常にさらされる
渡邉のようなヒールは日本では珍しい。
全体の論調は骨太であり、賛成できる箇所も少なくなかった。



しかし、後半になると、
インターネットの議論を衆愚と切り捨て新聞言論の卓越性を擁護。
原発報道などを例にライバル朝日新聞を批判し
読売新聞の立ち位置の正当性を主張。
さらにはみずから主筆として社内での民主的な議論を経て
読売新聞がメッセージを送っているとする。
あまりに身びいきな物言いではないか。



社内で渡邉に直接ノーを突きつけられる人材が
いまの読売グループにいると本心で渡邉は信じているのか。
記者クラブによるなれ合いの新聞社各社の取材が変わらぬ事実は
見て見ぬふりを決め込むのか。
インターネットを衆愚の巣窟と決めつけるなら
オープンソースなどの匿名の英知による成果をどう見るのか。
こうした論点については
渡邉の主張はバランスを欠いていると僕は思う。



どれほど知的体力があろうと
長年権力の座に座り続けることで自らを過大評価するのが
人間の常であることは歴史が証明している。
一方こうして自ら筆を執り、
個人名の責任で発言する渡邉の姿勢は高く評価したい。
マスメディアに乗っかり「ナベツネ」などと揶揄するばかりで
思考停止することがもっとも危険である。
それこそポピュリズムの危険な側面だろう。
僕は白か黒かの極端でなく、是々非々で自分の判断をしたい。
出版2ヶ月で早くも6刷。読まれている。


(文中敬称略)