『児玉誉士夫自伝ー悪政・銃声・乱世』(1974)


児玉誉士夫自伝ー悪政・銃声・乱世』を読む。
早野透田中角栄ー戦後日本の悲しき自画像』、
工藤美代子『絢爛たる悪運ー岸信介伝』両書の参考文献にこの書があった。
韻を踏んだ書名がまず愉快である。
うかつなことに僕は児玉誉士夫と言えば、
右翼、ロッキード角栄収賄、逮捕くらいの単語しか連想できなかった。
やはりどんなときも一度は本人の弁に耳を傾けるものである。



痛快な自伝だった。
頭と口だけを働かせるエリートと違い、
どんな危機の場面でも児玉は実践的である。
現実の問題をさばく児玉の能力を頼りにした人間は
軍人にも政治家にもいた。
異論はあるだろうにせよ、
少なくともこの男の国、天皇を思う気持ちにブレはない。



児玉本人も思いがけずA級戦犯となり巣鴨収監が決まったとき、
自決を考える児玉に妻安都子は言う。


  (前略)ですからまず、大手をふって堂々と巣鴨にいかれて、
   裁判をお受けになってはいかがです。
   ……もしもあなたが、いよいよ絞首刑ときまりましたら、
   わたしはすぐ面会に出むいて、
   金網ごしにかならず、あなたの真眉間を、
   拳銃でりっぱに撃ってさし上げます。
   もちろんわたしも、その場で死にましょう。
   あなたが死なれるのは、そのときでも決して、
   おそくはございますまい。


                 (p.201-202より引用)


芝居の脚本でもこれだけの台詞はなかなかあるまい。
女房の方が人間が出来ていると観念した児玉は
自決をあきらめ巣鴨行きを決心する。
それからの拘置所の3年は
「極度の精神的負担と苦痛」(p.216) の日々だった。



日本近現代史を学び直すとき、
いまは忘れられかけた男の視点から歴史を眺めることも重要である。
僕にとって本書はA級史料である。
どこかの出版社が文庫として復刊してくれないだろうか。
その上で歴史における児玉個人の意義についても
賛否両論が聴きたい。



(文中敬称略)